モルディブ

モルディブ

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基本情報

国名 モルディブ共和国(Republic of Maldives)
面積 300平方km (淡路島の約半分)
人口 39万5,650人 (2010年推計)
首都 マレ
言語 ディベヒ語(シンハラ語の方言、文字はアラビア語から来ている。)
宗教 イスラム教スンニー派
通貨 ルフィヤ 1 rufiyaa (Rf) = 100 laari
為替レート 1ドル=12.8ルフィア(2009年)
日本との時差 -4時間
ビザ 観光目的で30日以内の滞在ならばビザ不要。
ビザ
観光目的で30日以内の滞在ならばビザ不要です。
ただし、出国する予約済み航空券を所持してること、
一日一人当たり最低30米ドルを所持しているか、モルディブ滞在予定期間のホテルの予約が確認されていることが必要です。

※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。
必ず、、モルディブ大使館、領事館などで確認してください。
国旗  
国際電話  

 
   

地勢・気候

地図
位置: 南アジア。インド洋に浮かぶ諸島。インドの南西にある。
面積
全面積: 300平方km
陸地の面積: 300平方km
海岸線:644 km
国際紛争:なし
気候:熱帯性気候。 暑く湿気がある。 乾燥した、北東モンスーン (11月から3月)、 雨が多い 南西モンスーン (6月から8月)
地形:わずか2.5mの高低差しかない平地。
天然資源: 魚
:1,190の珊瑚の島が26の環礁の中に分かれている。

政治

正式名称:モルディブ共和国
(Republic of Maldives)
政体:共和制
首都: マレ
行政区分:19区域(環礁)
独立:1965年7月26日 (イギリスから)
国の祝日:独立記念日、7月26日(1965年)
憲法:1968年6月4日
法律制度:特に商法はイギリスの慣習法を混合したイスラム法を基礎にしている。
選挙権:21歳以上の国民すべて
行政府
元首および政府の長:大統領モハメド・ナシード(Mohamed Nasheed)(2008年11月11日就任/任期5年)
選挙は2008年10月29日に行われた。
結果:過半数を得票した候補がいないため、1位のガユーム大統領と2位のモルディブ民主党のナシード元総裁で決選投票が行われ、ナシードが当選した。
首相は1975年以来空席。
立法府:一院制(議席77: 小選区制)
国民議会 (Majlis)
党名 議席数
モルディブ人民党(DRP) 27
モルディブ民主党(MDP) 27
人民連合(PA) 7
16
合計 77
国旗: 赤地に大きな緑の長方形があり、中央に白い三日月がある。

経済

概況
1980年代以降、観光は経済上最も重要で最も成長した分野であり、現在ではモルディブの最も大きい産業になっている。
観光産業はGDPの18%を占め、モルジブの外貨交換受け取りの60% 以上を占めている。
政府の税収入の90%以上は輸入税と観光関連の税である。1997年には、約35万人の観光客が訪れた。
漁業は観光に次ぐ成長産業である。
モルジブ政府は1989年に、経済改革を始めた。最初は、輸入割り当てを上げ、民営企業に対して輸出を開放した。
後には、もっと多くの海外からの投資を認める自由化規則を作った。
農業と工業は経済的には小さな役割しかない。限られた有効な耕作地と国内労働力の不足によって束縛されている。
大部分の主要な食料は輸入されている。工業はおもに宝石生産、船の建造、手工芸品で、GDPの約15%を占めている。
モルディブ内で懸念されているのは、国土の80%の地域が海抜1m以下であるという低地の侵食と温暖化による影響である。
GDP(MER): 13億5,700万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(MER):3,932.080ドル (2009年:IMF)
GDP(PPP): 16億8,800万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(PPP):4,894.021ドル (2009年:IMF)
国内総生産実質成長率:-3.027% (2009年:IMF)
インフレ率(消費者物価):4.000% (2009年:IMF)
失業率: 不明
国家予算
歳入:8,800万ドル
歳出: 1億4100万ドル(1995年推計)
輸出:5900万ドル (1996年推計)
商品:魚、衣類
相手国:スリランカ、アメリカ、ドイツ、シンガポール、 イギリス
輸入: 3億200万ドル (1996年推計)
商品: 消費財、中間物およびキャピタルグッズ、石油製品
相手国:シンガポール、インド、スリランカ、香港、日本、タイ
対外債務: 1億7900万ドル(1996年推計)
工業生産:成長率6.3% (1994年推計)
発電量: 5000万kWh(1995年)
一人当たり消費量:191 kWh (1995年)
産業:漁業と水産物加工、観光、海運業、船の建造、ココナッツ加工、宝石、織マット、綱、手工芸品
農業:漁業、ココナッツ、コーン、サツマイモ
通貨:ルフィヤ
1 rufiyaa (Rf) = 100 laari
為替レート
1ドル= ルフィヤ :12.8 (2009年)
交通・運輸
鉄道 :0 km
幹線道路
全長: 不明
舗装:不明
未舗装:不明 (マレ市内に9.6 kmの高速道路がある。)
空港: 2
通信
電話:8523台 (1992年推計)
ラジオ
ラジオ局 : AM 2、 FM 1、短波0
ラジオ台数 : 28,284(1992年推計)
テレビ
テレビ局 : 1
テレビ台数 : 7,309(1992年推計)

歴史

この群島の最初の居住者は、たぶん紀元前500年頃セイロン(現在はのスリランカ)、および南インドから来たと思われる。
しかしモルディブは紀元前2000年からいくつかの海洋国の貿易の交差点として知られていた、との学説も多い。
これらの海洋国の一つが十分長く滞在し、レディンとなったと信じられている。伝説的な太陽崇拝の人々である。悪魔の精神、霊魔を含んだ彼らの信仰や慣習の遺産は今日なお残っている。
レディンは紀元500年頃去ったか、セイロンから来た仏教徒やインドから来たヒンズー教徒によって併合された。島々は非常に小さく建築材料は制限されていたため、人々は重要な建築物を以前の居住者の基礎の上に建てた。これは何故モルディブの多くのモスクがメッカではなく太陽を向いているかを説明している。
特にカラフルで血なまぐさい伝説によると、北アフリカのアラブ人アブ・アル・バラカットは、マレで処女を餌食としていた海の霊魔を退治し、モルディブをイスラム教に改宗する事に信用された。
実際に起こったことが何であれ、モルディブの国王はイスラム教に熱中し、バカラットは後に最初のスルタンとなった。一連の6つのスルタン王朝が続いた。全部で84のスルタンとスルタンの王妃である。
ポルトガルが最初にやって来たのは16世紀だった。その時モルディブでは実際に2つの王朝があった。マレとヒラリである。
ポルトガルはインド洋の利益の上がる貿易ルートのもっと大きいシェアを得ようとした。マレに要塞 と設備を建設する許可を得た。しかしポルトガルはまもなくモルディブからもっと多くのものを得ようとした。
1558年、アンドレアス・アンドレは侵略軍を率い、彼にマレの支配を許したスルタン・アリ5世を殺した。そして15世紀にはモルディブの大部分を支配した。島の長モハメエド・タクルファーンがポルトガルの主要守備隊を攻撃し多くを殺した時、ポルトガルの占領は1573年に終わった。
17世紀には、モルジブはオランダの保護下にあり、後にイギリスの保護下に入った。しかし 諸島が離れており、状況が芳しくないため、植民地の統治下には入らなかった。1860年代、ボンベイからのBorah商人がマレに倉庫と店を開設した。そして急速に外国貿易においてほとんど排他的な独占権を得た。
スルタン・モハメッド・ムエーヌディン2世は Borahの経済支配にいやになり、1867年イギリスとの契約に調印した。それは諸島の完全な独立を保証するというものだった。モルディブは後に、防衛の便宜の代わりにイギリスの保護国となった。
サルタンの地位は1932年、諸島の最初の憲法によって世襲の地位から選挙で選ばれるようになった。1953年、サルタンの地位は廃止され、アミン・ディディを大統領とする共和制が宣言された。
一年も経たない内に、ディディは打ち倒された。サルタンの地位は回復し、モハメッド・ファリド・ディディが第94代のスルタンとなった。
その頃イギリスはその戦争の飛行場をアッドゥ環礁のガン島に再建する許可を獲得した。 1956年、英国空軍は、数百人のモルディブ人を雇い、ガン島人の再定住を企て、基地を中間着陸地として開発し始めた。
しかし1957年イブラヒム・ナシールが首相に選ばれるとただちに、その貸与を短くし、年間リース料の増額を要求し、協定の見直しを求めた。
これは、イギリスは地元人の雇用を止めろというナシールの要求に反対したアッドゥとスヴァディヴァ(フヴァドゥ)環礁の居住者によって政府に対する暴動を引き起こした。
イギリスのプレゼンスの影響によって、彼らは全く関係をを絶つことを決定し、独立国家を作った。
1962年ナシールは南の環礁に砲艦を送り、反乱は鎮圧された。イギリスはその後すぐに島の主権を認め、1965年モルディブは独立を得た。
1968年の国民投票で、スルタンは再び廃止され、新しい共和制がナシールを大統領として始まった。彼の独裁的な支配は10年後に、彼の生命が脅かされ、シンガポールに亡命した時、終わった。
マユムーン・アブドル・ガユームが大統領に当選した。ガユームは、400人以上のスリランカのタミール人傭兵が不満を抱いたモルディブのビジネスマンに雇われモルディブに潜入した1980年、1988年のクーデターの試みにもかかわらず、それ以来現在まで権力の座にある。
彼は、教育、保健、産業(特に観光)を大きく発展させた。しかし生活をもっと伝統的な方法に戻そうとするイスラム教原理主義者、政府の利害としばしば衝突する地元のビジネス界など彼の反対派も多い。

人々

人口:39万5,650人 (2010年推計)
人口構成(1998年推計)
年齢 構成比 女性 男性
0-14 歳 47% 66,758人 70,244人
15-64 歳 50% 70,539人 73,784人
65 歳以上 3% 4,151人 4,735人
人口増加率: 3.42% (1998年推計)
出生率: 人口1,000人当たり40.12人 (1998年推計)
死亡率:人口1,000人当たり 5.96人 (1998年推計)
乳幼児死亡率(1歳以下): 出生1,000人当たり 41.12人 (1998年推計)
平均寿命(1998年推計)
全人口平均 男性 女性
67.57歳 65.87歳 69.35 歳
民族構成:シンハリ人、ドラビダ人、アラブ系、アフリカ系
宗教: イスラム教スンニー派
言語:ディベヒ語(シンハラ語の方言、文字はアラビア語から来ている。)、英語は政府職員の大部分が話す。
識字率(15才以上): (1998年推計)
全人口平均 男性 女性
93.2% 93.3% 93%
労働力: 56,400人 (概算)
職業: 水産業および農業25%、サービス業21%、軽工業および建設業21%、レストラン・ホテル16%

地図

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