ネパール

ネパール

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基本情報

国名 ネパール連邦民主共和国
面積 140,800平方km(北海道の約1.8倍)
人口 2,895万1,852人 (2010年推計)
首都 カトマンドゥ
言語 ネパール語
宗教 ヒンドゥー教90%、仏教5%、イスラム教3%、その他 2% (1981年)
通貨 ネパール・ルピー
為替レート 1ドル= 77.44ネパール・ルピー(2009年)
日本との時差 -3時間15分
ビザ
ビザ
観光目的で入国する場合、ビザが必要です。
ただし、観光目的で3日(2泊3日)以内の滞在の場合は入国時に押印される無料滞在スタンプがビザの代わりになります。
ビザを取得する方法は2つあります。
  1. 大使館、領事館で事前に取得する
  2. ネパール到着時にカトマンズのトリブバン空港または陸路国境の入国管理局で取得する。
観光目的でも、片道の航空券しか持っていない場合は、ビザが必要です。
観光以外の目的で入国する場合は、ビザが必要です。
パスポート
ビザ申請時に残存有効期間6ヶ月以上、ビザ用の余白が最低1ページ残っていること。

※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。
必ず、ネパール大使館、領事館などで確認してください。
国旗  
国際電話  

 
   
   
   

地勢・気候

地図
位置:南アジア。中国とインドの間にある。
面積
全面積: 140,800平方km
陸地の面積: 136,800平方km
国境線: 全長2,926 km、中国1,236 km、インド1,690 km
国際紛争:なし
気候:北部では涼しい夏と厳しい冬、南部では亜熱帯の夏と温暖な冬のように多様である。
カトマンドゥの気温と降水量
地形: 南部のタライ高原またはガンジス河の流域は平地。中央部は丘や小山が多い。 北部はヒマラヤ山脈。
天然資源: 石英、水、木材、褐炭の小さな鉱、 銅、コバルト、鉄鉱石

政治

正式名称:ネパール連邦民主共和国(Federal Democratic Republic of Nepal)
政体: 連邦民主共和制
首都: カトマンドゥ
行政区分: 14 区域
独立: 1768年 ( Prithvi Narayan Shahによって統一された)
祝日
憲法:2007年1月15日、暫定憲法が交公布された。
新憲法制定は難航している。
法律制度: ヒンズー教の法概念とイギリスの慣習法に基づく。
選挙権:18歳以上の国民
行政府
元首:ラム・バラン・ヤダブ大統領( 2008年7月23日就任)
政府の長:首相 マダブ・クマール・ネパール(2009年5月25日就任)
立法府:一院制
制憲議会:601議席
結果: 議席 (総議席601)
政党名 議席数
マオイスト 239
コングレス党 114
共産党UML 109
マデシ人権フォーラム(民主)(MPRF(民主)) 28
マデシ人権フォーラム(MPRF) 25
タライ・マデシ民主党(TMDP) 21
友愛党 9

政党とその指導者たち
  • マオイスト(ネパール共産党統一毛沢東主義派):党首:プラチャンダ議長
  • ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義(統一共産党・共産党UML) (UML):1991年、マルクス・レーニン派とマルクス主義派が合同して成立した。党首:ジャラ・ナト・カナル議長
  • コングレス党(ネパール会議派)(Nepali Congress Party /NCP)::党首:ギリジャ・プラサド・コイララ総裁
  • マデシ人権フォーラは、2009年に分裂した
  • マデシ人権フォーラム(民主)(MPRF):ネパール南部マデシ地方の地域政党。
  • マデシ人権フォーラム(MPRF):ネパール南部マデシ地方の地域政党。
  • タライ・マデシ民主党(TMDP):ネパール南部マデシ地方の地域政党
  • 友愛党::ネパール南部マデシ地方の地域政党
国旗: 一部が重なった二つの直角三角形というユニークな形の回りに青色の枠のついた赤地の旗。 小さい方の上の三角形には白い様式化された月があり、下の大きな三角形には白い12の角がある太陽が書かれてある。

■軍事

防衛費: 3600万ドル、GDPの1.2% (92/93年)

経済

概況
ネパールは、最貧国ともっとも遅れた開発途上国の間にいる。人口の半分以上は窮乏ラインの下にいる。
農業は経済の主柱であり、人口の80%以上の生計をまかない、GDPの40%を占めている。
工業生産の中心は主に農産物(ジュート、サトウキビ、タバコ、穀物)の加工である。
織物やじゅうたんの生産は近年拡大し、過去2年間に外貨収入の80%を占めた。農地や森林は別として、利用できる天然資源は、雲母、水力、観光である。年間人口増加2.6%と比較し、農業生産は約5%成長した。
1991年5月以降、政府は経済改革を進めた。ビジネスライセンスや登録資格を省略するなど貿易や外国からの投資を特に奨励した。
また、補助金を減らし、国営企業を民営化し、公務員をレイオフするなど財政支出をカットしている。
しかし、過去数年間に5つの政権が交代するなど政治的な不安定さが経済改革を進めるコンセンサスを作りづらくしている。
ネパール政府は、水資源の潜在力および観光、外国からの投資対象となっている地域の開発により経済成長を押し進めたいと考えている。しかしながら、他の地域での外国貿易と投資の見通しは、経済基盤の小ささ、科学技術の遅れ、地理的な辺鄙さ、自然災害の受けやすさなどにより、相変わらず良くない。
国際社会は、ネパールの開発予算の60%と国の歳出全体の28%以上の基金を援助しており、今後も成長の大きな要素となりつづけると思われる。
GDP(MER):126億1,500万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(MER):451.941ドル (2009年:IMF)
GDP(PPP): 336億4,300万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(PPP):1,205.267ドル (2009年:IMF)
国内総生産実質成長率:4.661% (2009年:IMF)
インフレ率(消費者物価):11.425% (2009年:IMF)
国家予算: (2010年推計)
歳入: 23億ドル
歳出: 37億ドル
輸出: 9億700万ドル ( 2008年推計) 、しかし、インドとの国境貿易は記録されていないため含まない。
商品: 衣類、パルス、カーペット、テキスタイル、ジュース、ジュート製品
相手国:インド59.95%、アメリカ7.87%、バングラディシュ6.04%、ドイツ4.89% (2009年)
輸入: 36億2,600万ドル(2009年推計)
商品:石油製品、機械および設備、金、電気製品、医薬品
相手国: インド52.85%、中国13.35% (2009年)
対外債務: 45億ドル(2009年推計)
発電量: 26億 kWh(2009年推計)
産業:観光、カーペット、テキスタイル、小さな米、ジュート、砂糖、オイルシード、タバコ、セメント、レンガ製造
農業:米、トウモロコシ、小麦、サトウキビ、ジュート、根菜、牛乳、水牛肉
通貨: ネパール・ルピー
1 Nepalese rupee (NR) = 100 paisa
為替レート
1ドル=77.44ネパール・ルピー(2009年)
交通・運輸
鉄道
全長: 101 km
注:タライ高原のすべての鉄道はインド国境まで閉鎖されている。
幹線道路
全長: 7,400 km
舗装: 3,000 km
未舗装: 4,400 km
通信
電話: 50,000回線(1990年)
ラジオ局 : AM 88、 FM 0、短波0
テレビ局: 1

歴史

   
紀元前7世紀頃 ネパールの歴史は、キラティという種族から始まったと記録されている。彼らは紀元前7世紀か8世紀に東から移住してきた。彼らについては、羊を飼っていた事と、長いナイフを持っていた事以外、ほとんど解っていない。
紀元前6世紀 釈迦(仏陀)がルンビニで生誕し、北インドに教えを広める
4世紀 ネパーラー王国リッチャヴィ王朝が成立
9世紀 デーヴァ朝成立
13世紀 マッラ朝による統治
15世紀 マッラ朝からカトマンズ王国独立
1976年 マッラ朝からパタン王国独立。3王国が並立した
1769年 東部地域のゴルカ族の第10代ゴルカ王、プリトゥビ・ナラヤンがネパールを統一し、シャハ王朝を作る。
1814〜 1816年 ネパール・イギリス戦争(グルカ戦争)。ネパールはこの戦争に敗北し、スガウリ条約に調印を強いられた。その条約はシッキムとテライを引き渡し(最終的にいくらかの地域は1857年のインドの反乱のおかげでネパールに返還された)、ネパールの現在の東部と西部の国境を確定した。そしてイギリスの外交官をネパールに駐在させた。これは実質的にネパールがイギリスの勢力下に入ったことを意味した。
1846年 ジャンガ・バハドゥールが宰相となる。彼はもっと権威のある称号「ラナ(Rana)」を名乗り、自身を生涯首相と宣言した。そして後にその職務を世襲とした。シャハ王家は傀儡となった
1911年 トリブバン、5歳で国王に即位
1947年 ネパール国民会議派(現在のネパール会議派の前身)結成。
1949年 - ネパール共産党結成。
1911年 トリブバン国王、インドに亡命。
1951年 トリブバン国王、亡命先のインドより帰国し王位に就き。立憲君主制を宣言。ラナ家の支配が終わる
1955年 トリブバンの長男、マヘンドラ国王即位
1959年 初の総選挙。ネパール会議派・B.P.コイララが政権をとる
1960年 - マヘンドラ国王がクーデターにより議会を解散。政治活動を禁止。全閣僚を逮捕。
1962年 新憲法制定。政党の禁止、国王に有利な複雑な間接民主主義「パンチャヤット制」、ヒンドゥー教の実質国教化など。
1962年 ビレンドラ国王即位
1990年 パンチャヤット制廃止、複数政党制復活を求めて民主化運動が起こり、ビレンドラ国王は、複数政党制導入、パンチャヤット制の廃止を宣言。
国王、ネパール会議派のクリシュナ・プラサド・バッタライを首相に指名する。
11月9日、国民主権を謳った新憲法を制定(1990年憲法)
1991年5月12日 複数政党制による30年ぶりの総選挙。ネパール会議派が勝利し、ギリジャ・プラサド・コイララが首相に就任。
1996年 ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が王制打破を目的に、政府軍との内戦勃発
2001年 国王を含むネパール王族殺害事件が起る。ビレンドラ国王の弟、ギャネンドラ国王が即位
2002年10月4日 ギャネンドラ国王、クーデターにより、ネパール会議派のデウバ内閣を停止。国王親政
2005年 ギャネンドラ国王、再び、議会・内閣を停止し、絶対君主制を導入。非常事態宣言を発する
2006年4月 民主化運動が起こり、国王が、直接統治断念。国民への権力移譲。議会の復活を発表し、政党側に首相推薦を要請。27日、コイララ政権が発足。
2006年11月21日 政府とマオイスト、「包括和平協定」に調印。内戦終結
2007年1月 暫定憲法発布
2008年5月 ネパール制憲議会が招集され、政体を連邦民主共和制と決定。王制が廃止され、ギャネンドラ国王退位。
2008年7月 初の大統領選挙が行われ、ラムバラン・ヤーダブ(ネパール会議派)が大統領に選出される

人々

人口:2,895万1,852人 (2010年推計)
人口構成(2010年推計)
0-14 歳 36.6% 女性5,127,178人 男性 5,327,484人
15-64 歳 59.2% 女性 8,812,675人 男性 8,094,494人
65 歳以上 4.2% 女性/634,880人 男性 566,666人
人口増加率: 1.419% (2010年推計)
出生率: 人口1,000人当たり22.43人 (2010年推計)
死亡率:人口1,000人当たり 6.89人 (2010年推計)
乳幼児死亡率(1歳以下): 出生1,000人当たり 46 人(2010年推計)
平均寿命 (2010年推計)
全人口 男性 女性
65.81歳 64.62歳 67.054歳
民族構成:ネワール族、インド系、チベット系、グルン族、、タマン族、 シェルパ族その他
宗教:ヒンドゥー教90%、仏教5%、イスラム教3%、その他 2% (1981年)
:世界で唯一の公式なヒンズー教国。多くのヒンズー教徒と仏教徒グループの間には明確な差別はない。
言語: ネパール語 (公用語)、 20の言語が多数の方言に分かれている。
識字率(15歳以上) (2001年 census)
全人口 男性 女性
48.6% 62.7%% 34.9%
労働力: 1,800万人(2009年推計)
職業:(2004年推計)
農業 サービス業 工業
76% 6% 18%

地図

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