国名 | カザフスタン共和国(Republic of Kazakhstan) |
面積 | 272万4,900平方km (日本の約7.2倍) |
人口 | 1,510万人 (2006年推計) |
首都 | アスタナ(Astana) |
言語 | カザフ語は公用語であり、人口の40%以上が話す。ロシア語は、異民族間のコミュニケーション言語 であり人口の3分の2が話し、日々のビジネスで使われる。 |
宗教 | イスラム教47%、ロシア正教44%、プロテスタント2%、その他7% |
通貨 | テンゲ(Tenge) |
為替レート | 1ドル=約123.7テンゲ(2007年2月) |
日本との時差 | |
ビザ |
※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。 必ず、カザフスタン大使館、領事館などで確認してください。 |
国旗 | |
国際電話 | |
- 面積
- 全面積:271万7,300平方km
- 陸地の面積: 266万9,800平方km
- 国境線:全長12,012 km、中国1,533 km、キルギスタン1,051 km、ロシア 6,846 km、トルクメニスタン379 km、ウズベキスタン2,203 km
- 海岸線:0 km
- 国際紛争:カスピ海の領海線はまだ確定していない。
- 気候:大陸性気候。冬は寒く夏は暑く、乾燥している。
- 地形:ヴォルガからアルタイ山脈へ広がる。西シベリアの平地から、中央アジアのオアシス、砂漠へ広がっている。
- 天然資源: 石油,石炭,鉄鉱石、マンガン、クロム鉱石、ニッケル、コバルト、銅、モリブデン、鉛、亜鉛、ボーキサイト、金、ウランの大きな埋蔵がある。
- 海岸線:0 km
- 正式名称:カザフスタン共和国(英語: Republic of Kazakhstan /Qazaqstan Respublikasy)
- 注:以前は、カザフ・ソビエト社会主義共和国
- 政体:共和制
- 首都:アスタナ(Astana/旧アクモラ)
- 注:以前は、カザフ・ソビエト社会主義共和国
- 1997年12月10日、国土の南端のアルマトイから中心に近いアクモラへ首都機能が移転した。これはアルマトイが国土の南端で中国国境に近いという地理的要因と、大気汚染、地震、ロシア人が多く居住するアクモラ一帯への移転で人口の35%を占めるロシア人の帰属意識を高める、アクモラの北部、ロシア側に工業地帯があり、石油などの天然資源を有効に輸出できるなどの理由があると見られている。
- 独立:1991年12月16日 (ソ連から)
- 憲法:1993年1月28日
- 選挙権: 18歳以上の国民すべて
- 行政府:
- 憲法:1993年1月28日
- 元首:大統領 ヌルスルタン・A・ナゼルバエフ(Nursultan A.NAZARBAYEV) (1990年4月就任)
選挙は1991年12月行われた。(次回は1996年)
結果:1991年12月に行われた大統領選挙で、ナゼルバエフは対立候補なしで当選した。ナゼルバエフは、1995年4月30日行われた国民投票によってその任期を2000年まで延長した。1999年1月に行われた大統領選挙で、ナゼルバエフが勝利した 2007年5月18日、カザフスタン議会はナザルバエフを終身大統領とする決議案を圧倒的賛成多数で可決した。- 政府の長:首相 カリム・マシモフ(2007年1月10日就任)
- 内閣: 首相が任命する。
- 政府の長:首相 カリム・マシモフ(2007年1月10日就任)
- 立法府:二院制
- 上院:セナート(定員47名、任期6年(3年毎に半数改選))
- 下院:マジリス(定員107名、任期5年))、98議席は比例代表制によ選挙で選出、9議席は大統領直属の国民評議会が指名する
- 下院: 最新の選挙は、2007年8月18日に行われた。(次回選挙は、 2012年に行われる)
結果:(総議席107):与党ヌル・オタンが全議席を獲得した。ヌル・オタン 107(選挙で97議席、国民評議会指名により9議席) - 下院:マジリス(定員107名、任期5年))、98議席は比例代表制によ選挙で選出、9議席は大統領直属の国民評議会が指名する
- 軍事費:1693億ルーブル(1993年の予想)
■軍事 |
- 概況:
- カザフスタンは旧ソ連諸国の中で2番目に大きな国家である。
豊富な埋蔵量の鉱物や金属があり、膨大な未開発の石油、石炭などの発掘燃料が眠っている。
また農業では、家畜や穀物生産両方に適した広大なステップ地帯を持ち、大きな潜在力を持っている。
カザフスタンの工業は、これらの天然資源の採掘と加工および、建設機器、トラクター、農業用機械、 いくつかの防衛機器を専門とする比較的大きな建設用機械分野が中心である。
ソ連の崩壊とカザフスタンの伝統的な重工業製品への需要の崩壊は、 1991年以来経済の激しい低下をもたらし、1994年には最も大きく低下した。
政府は経済活動に対する国家管理を次第に減らし、国営企業を民営化するという経済改革と民営化政策をゆっくりと押し進めた。
しかし、経済の基幹産業に関する政府の管理はなお強かった。
経済的苦境と工業エリートからの圧力が続き、1994年末までにインフレを低下させた金融、財政統制政策を政府が維持する事は難しかった。
1995〜1997年には、政府の経済改革プログラムと民営化のペースは速まり、民営企業数は増大した。
拡大した石油輸出の為の輸送パイプラインの不足は、経済回復の源泉を閉じているように見える。
1996年12月、カザフスタンの西部から黒海への 新しいパイプラインを建設するカスピ・パイプライン・コンソーシアム契約に調印した。これにより数年内により大量の石油輸出の見込みが増大した。
北部の工業地域から大量の熟練したスラブ系経営者および技術者の他国への移住により将来の成長が抑制される恐れがある。 - GDP(MER): 1,092億7300万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):7,019.036ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 1,820億4400万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):11,693.414ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:1.166% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):6.269% (2009年:IMF)
- 失業率: 2.6%(公式に登録された失業者のみ)
多数の不完全就労者がいる (1996年推計)- 国家予算(1997年推計)
- インフレ率(消費者物価):6.269% (2009年:IMF)
- 歳入: 30億ドル
- 歳出:46億ドル
- 輸出:56億ドル (1996年推計)
- 商品:石油、 鉄および非鉄金属、化学薬品、穀物、羊毛、肉、石炭
- 相手国:ロシア、ウクライナ、ウズベキスタン,オランダ、中国
- 輸入:60億ドル(1996年推計)
- 商品:機械および部品、工業原料、石油およびガス
- 相手国:ロシア、ウクライナ、ウズベキスタン、トルコ、ドイツ
- 対外債務:33億ドル (1996年推計)
- 工業生産: 成長率は3% (1997年推計)
- 産業: 実質国内生産の26%を占める。 採掘産業(石油、石炭、鉄鉱石、マンガン、クロム、鉛、亜鉛、銅、チタン、ボーキサイト、金、銀、リン酸塩、硫黄)、鉄、スチール、非鉄金属、トラクター、他の農業用機械、電気モーター、建設資材
- 農業:GDPの20%と労働力の約26% を占める。
穀物、大部分は春小麦。牛肉、綿、羊毛。- 経済援助:1億ドル (1993年推計)
- 通貨:1993年11月15日、通貨としてテンゲ(tenge)が導入された。
- 為替レート:1ドル=76.4テンゲ(1998年)、75.44テンゲ(1997年)、67.3テンゲ(1996年)、60.95テンゲ(1995年)、35.54テンゲ(1994年末)、54テンゲ(1994年末)
- 工業生産: 成長率は3% (1997年推計)
- 鉄道
- 全長: 13841km
- 幹線道路
- 全長: 141,076 km
- 舗装および砂利:113,566 km
- 未舗装:土 27,510 km (1996年推計)
- 舗装および砂利:113,566 km
- 空港:10(1997年推計)
■交通・運輸 |
- 電話:220万回線。 電話サービスは貧弱である。都市では100人当たり17回線、田舎では100人当たり7.6回線
- ラジオ台数 :408.8万台
- テレビ台数: 475万台
- ラジオ台数 :408.8万台
■通信 |
14世紀頃まで | 現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着 |
15世紀後半 | 遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立 |
18世紀初 | ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化 |
18世紀初 | 大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂 |
1730年代 | カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従 |
18世紀中頃 | 清朝にも朝貢 |
1820年代まで | ロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める |
1837年-1847年 | ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱) |
1850年-1860年代 | カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民) |
1920年 | ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ) |
1924年 | 中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更 |
1925年 | 首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソヴィエト社会主義共和国」に変更 |
1929年 | 首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転 |
1936年 | ソ連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国に昇格 |
1986年12月1日 | アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧) |
1990年4月24日 | ナザルバエフ大統領就任 |
1990年10月25日 | 共和国主権宣言 |
1991月12月1日 | ナザルバエフ大統領再選 |
1991年12月10日 | 国名を「カザフスタン共和国」に変更 |
1991年12月16日 | 共和国独立宣言 |
1997年12月10日 | 首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転 |
1999年1月10日 | ナザルバエフ大統領再選 |
2005年12月 | ナザルバエフ大統領再選 |
- 人口:1,546万484人 (2010年推計)
- 人口構成(2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 21.8% 1,643,920人 1,717,469人 15-64 歳 70.2% 5,534,607人 5,279,292人 65 歳以上 7.9% 797,655人 426,494人 - 人口増加率:0.399% (2010年推計)
- 出生率:人口1,000人当たり16.66人(2010年推計)
- 死亡率:人口1,000人当たり9.39 人 (2010年推計)
- 乳幼児死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり 24.93人(2010年推計)
- 平均寿命 (2010年推計)
全人口 男性 女性 68.19歳 62.91歳 73.78歳 - 民族構成:カザフ人46%、 ロシア人34.7%、 ウクライナ人4.9%、 ドイツ人 3.1%、 ウズベク人2.3%、 タタール人1.9%、 その他7.1% (1996年推計)
- 宗教:イスラム教47%、ロシア正教44%、プロテスタント2%、その他7%
- 言語:カザフ語は公用語であり、人口の40%以上が話す。ロシア語は、異民族間のコミュニケーション言語であり人口の3分の2が話し、日々のビジネスで使われる。
- 識字率(15歳以上): (1999年推計)
全人口 男性 女性 99.5% 99.8% 99.3% - 労働力:870万人 (2009年推計)
- 職業: (2009年推計)
製造業 農業および林業 サービス業 42.8% 6% 51.2% - 人口構成(2010年推計)