クウェート

クウェート

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基本情報

国名 クウェート
面積 1万7,820 平方km((四国の0.98倍)
人口 278万9,132人 (2010年推計)
注:129万1,354人の外国人を含む
首都 クウェート
言語 アラビア語(公用語)
宗教 イスラム教
通貨 クウェート・ディナール 1 Kuwaiti dinar (KD) = 1,000 fils
為替レート 1ドル=約0.306クウェート・ディナール
日本との時差 -6時間
ビザ 入国にはビザが必要。
国旗  
国際電話  

 
   
   
   

地勢・気候

地図
位置: 中東、イラクとサウジアラビアに挟まれ、ペルシャ湾に面している。
面積
国土の面積:17,820 平方km
陸地の面積::17,820平方km
国際紛争:1994年11月、イラクは公式に、安全保証理事会の決議案 687号 (1991年), 773 号(1993年), 883号 (1993年)によって示されたクウェートとの国連管理国境線を受け入れた。これは公式にクウェートとブビヤン、ワルバ島に対する初期の主張を公式に撤回するものだった。
サウジアラビアと Qaruh および Umm al Maradim島の領有権で争っている。
気候:乾燥した砂漠。非常に暑い夏。短く涼しい冬。
クウェートの気温と降水量
地形:平地とわずかに起伏している砂漠状の平地
天然資源:石油、天然ガス、魚、海老、

政治

正式名称:クウェート国(英語 State of Kuwait/アラビア語 Dawlat al Kuwayt)
政体:名目上の立憲君主国
首都:クウェート
独立:1961年6月19日 (イギリスから)
憲法:1962年11月11日是認され公布された。
法律制度:個人の事例にはイスラム法が大きく関わる民法
投票権:1920年以前からクウェートに住む成人男性と彼らの子孫で21歳以上の男性。
: 全国民のわずか10%しか投票権を持たない。1996年には、1920年以前という資格には適合しないが30年間住んでいる国民に対して投票権が与えられる。
行政府
国家元首:首長ジャビル・アル・アハマド・アル・ジャビル・アル・サバハ(Shaykh JABIR al-Ahmad al-Jabir Al Sabah) (1977年12月31日より)
政府の長: 首相および皇太子 サアド・アル・アブドラ・アル・サレム・アル・サバハ(SAAD al-Abdallah al-Salim Al Sabah) (1978年2月8日より)
立法府: 一院制 定数50
国会(Majlis al-umma):1986年7月3日に解散した。湾岸戦争後、最初の選挙は1992年10月5日に行われた。
1996年10月上旬に、湾岸戦争以来2回目の議会選挙が行われた。議会で過半数を占めていた政府批判勢力が後退し、政府支持勢力が過半数を占めた。
政党およびその指導者:なし。政党は認められていない。従って国会選挙の立候補者はすべて無所属候補である。
他の政治的圧力団体:小さな秘密の左翼やシーア派の原理主義者グループが活動している。政府の政策に批判的ないくつかのグループが公然と活動している。
国旗: 上から緑、白、赤の3つの等しい水平の帯。巻き上げ側に、黒色の台形がある。

■軍事

軍事費: 34 億ドル 、 GDPの13.3% (1995年)

経済

概況
クウェートは、約940億バレルの原油埋蔵量(世界の約10%の埋蔵量)を持っている。国土の小さな比較的規制の少ない経済である。クウェートは、イラクの侵攻によって破壊された石油部門を再建した。その原油生産は1996年の終わりまでには少なくとも一日平均200万バレルに上った。
石油は、GDPの約半分、輸出および政府の歳入の90%を占めている。
クウェートは、水が不足し、実質上耕作地はない。したがって農業の発展は妨げられている。魚をのぞいて、食料はほとんどすべて輸入に頼っている。約75%の飲み水は蒸留するか輸入しなければならない。
一人当たりの所得が西ヨーロッパに比肩するほどの高収入のために、クウェートは国民に広範囲な健康、教育、退職者への給付を行っている。しかし、非クウェート人である多数の労働者の生活レベルはかなり低い。
一人当たりの軍事支出は世界でもっとも高いうちに入る。
1994〜97年には、経済は工業および金融での成長により適度に改善された。世界銀行は、クウェートに対し石油産業を含め民営化を押し進めるように促しているが、クウェート政府は石油産業の開放をゆっくりと進めるつもりのようだ。
GDP(MER): 1,113億900万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(MER):31,482.028ドル (2009年:IMF)
GDP(PPP): 1,354億2,900万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(PPP):38,304.024ドル (2009年:IMF)
国内総生産実質成長率:-2.665% (2009年:IMF)
インフレ率(消費者物価):4.678% (2009年:IMF)
失業率:2.2% (2004年推)
国家予算: (2009年推計)
歳入:614.8億ドル
歳出:391億ドル
輸出:503.4億ドル (1996年推計)
商品: 石油および石油製品、肥料
相手国: 日本17.9%、韓国17.31%、インド12.43%、台湾9.07%、米国7.9%、中国7.55%、シンガポール 5.48%(2009年)
輸入: 170.8億ドル(1996年推計)
商品:食品、建築材料、自動車部品、衣類
相手国:米国の11.18%、中国9.07%、ドイツ7.63%、日本7.14%、サウジアラビア6.24%、イタリア5%、フランス4.77%、インド4.09%、イギリス4.02%(2009年)
対外債務:552.3億ドル(2009年推計)
発電量:458.3億 kWh (2007年推計)
産業:石油、石油化学、セメント、造船、修理、海水淡水化、食品加工、建設資材
農業: 実質上ない。領海とインド洋での広範囲な漁業
通貨 :クウェート・ディナール
1 Kuwaiti dinar (KD) = 1,000 fils
為替レート:1ドル=0.283クウェート・ディナール (2009年)
交通・運輸
鉄道:0 km
幹線道路
全距離:4,450 km
舗装:(アスファルト)3,587 km
未舗装:(砂利、砂、土) 863 km (概算)
通信
電話:548,000回線 (1991年推計)
ラジオ局:AM 3、 FM 0、 短波 0
テレビ局:3

歴史

(工事中)

15〜17世紀
現在のクウェートを支配しているサバハ家は1756年頃、その地域の首長となった。
19世紀
19世紀初期には、クウェートは貿易港として繁栄していた。 ムバラク・アル・サバハ・アル・サバハ
1899年、ムバラクはイギリスの保護国となる条約に調印した。イギリスの軍事力によって保護される代わりに、イギリスの許可なく、他勢力と交渉もしないし援助も受けないというものだった。
20世紀
1920年代初期には、クウェートはサウジアラビアから軍事的脅威を与えられていた。
1934年、石油開発の認可がイギリスーアメリカの共同資本に与えられた。1936年、最初の油井が発見された。1938年には、クウェートの地下は石油だらけだということがはっきりした。第二次世界大戦により、開発は中断したが、戦後石油の輸出が始まった。クウェートの保健衛生、教育、生活水準は劇的に向上した。
1961年6月19日、クウェートは独立した。憲法制定会議は、憲法は数カ月後に選ばれる事を命じ、1962年憲法は発布された。
最初の国会選挙は、1962年後半に行われた。
1976年、内閣が、国会は政府の職務を不可能にしているとして辞職した。首長は憲法を停止し、国会を解散した。首長は皇太子に首相を命じ新しい内閣を作った。
国会選挙はこの後1981年まで行われなかった。
選挙法が改正され、急進派は議席を得ることができないようになった。しかし国会での多数を占める保守層からも異議申し立てがでた。
1986年、国会は再び解散した。
1989年12月、1990年1月、憲法の回復と、国会の再招集を求めて大規模なデモが起こった。しかしそれらのデモは警察によって解散させられた。1990年7月、諮問委員会の選挙が行われた。諮問委員会は4年の任期で、国会選挙についてではなく憲法の改正について政府に助言を与えるというものだった。しかし民主勢力は以前の国会の再開を求め、諮問委員会を違憲であると非難した。
1990年7月16日、イラクはアラブ連盟の事務総長に書簡を送った。この中で、クウェートはOPECの石油生産割り当てを越えており、イラクとの国境でイラク領の油田から石油を盗んでいると非難した。
1990年8月2日、イラクはクウェートに侵攻し、その日の内にクウェートを制圧した。王族はサウジアラビアに避難した。
湾岸戦争が始まった。 多国籍軍は、1991年2月26日、クウェート市を解放した。
1992年10月、新しい国会選挙が行われた。その結果は、政府にショックを与えた。総議席50の内、30議席以上を、野党の改革派が獲得した。

人々

人口:278万9,132人 (2010年推計)
注:129万1,354人の外国人を含む
人口構成 (2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性
0-14 歳 26.4% 348,351人 361,274人
15-64 歳 70.7% 683,494人 1,219,674人
65 歳以上 3% 29,926人 49,807人
人口増加率:3.501% (2010年推計)
出生率:人口1,000人当たり21.64人 (2010年推計)
死亡率:人口1,000人当たり2.29人 (2010年推計)
乳児の死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり8.75 人 (2010年推計)
平均寿命(2010年推計)
男性 女性
76.64歳 79.18歳
民族構成:クウェート人 45%、 他のアラブ人35%、 南アジア人 9%、イラン人4%、 その他 7%
宗教 :イスラム教 85% (シーア派30%, スンニー派45%, その他10%), キリスト教、ヒンズー教、パルシー(Parsi)その他15%
言語:アラビア語(公用語)、英語は広く話される。
識字率(15歳以上):(2006年推計)
全人口平均 男性 女性
93.3% 94.4% 91%
労働力:209.1万人 (2009年推計)
注:労働力の約60%は、外国人である
職業分類:不明

地図

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