カタール

カタール

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基本情報

国名 カタール国
面積 11,437平方km (新潟県とほぼ同じ)
人口 84万926人 (2010年推計)
首都 ドーハ
言語 アラビア語(公用語)、 英語は第2言語として一般に使われてる。
宗教 イスラム教95%
通貨 カタール・リアル  1Qatari riyal (QR) = 100 dirhams
為替レート 1ドル=3.6400 リアル (固定レート)
日本との時差 -6時間
ビザ
ビザ
観光.短期商用目的でドーハ国際空港から入国する場合、14日有効の観光ビザ・ビジネスビザが発給されます。手数料は、55QRカタール・リアルです。
陸路の国境でも同様に観光ビザが発給されるようですが、詳細は不明です。
ビザは申請する事によりさらに14日間延長できます。
パスポート
3ケ月以上残存有効期間のあるもの。
旅券等にイスラエルへの入国記録があると入国できません。

※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。
必ず、大使館、領事館などで確認してください。
国旗  
国際電話  
電圧 220-240 V
国の概要 日本では、W杯出場を逃した「ドーハの悲劇」が語り継がれていますが、このドーハはカタールの首都です。
原油、天然ガスが産出する豊かな国ですが、近年は石油・天然の枯渇に向けてドバイに次ぐ金融センターを目指しています。
ちなみに、テレビ局のアルジャジーラは、ハマド・ビン・ハリーファ・アール・サーニ首長のポケットマネーで運営されています。
サッカーが人気で、オイルマネーで、バティストゥータ、イエロ、エメルソンなど世界の有名選手を獲得しています。また、Jリーグからも外国選手を獲得しています。2022年のFIFA ワールドカップ開催が決定しました。
   
   

地勢・気候

地図
位置:中東,ペルシャ湾とサウジアラビアに接している半島。
面積
国土の面積:11,000平方km 、
陸地の面積:11,000平方km
国際紛争:バーレーンとハワール諸島をめぐっての領有権争い。バーレーンと領海争い。
気候:砂漠。暑く、乾燥している。夏は 湿気があり、蒸し暑い。
地形:大部分は砂や砂利におおわれた平らで不毛の砂漠。
天然資源 :石油、天然ガス、魚

政治

正式名称カタール国(英語 State of Qatar /アラビア語 Dawlat Qatar)
政体:君主制
(サーニ家が首長ポストを独占し、権力を握っている)
首都:ドーハ
独立:1971年9月3日 (イギリスから)
憲法: 臨時憲法が1970年4月2日制定された。
法律制度:民法典は履行されているが、首長によってコントロールされる自由裁量の法制度。イスラム法は私事においては重要である。
投票権:なし。
国家元首:首長および首相 ハマド・ビン・ハリーファ・アール・サーニ(1995年6月就任)
行政府
首相:ハマド・ビン・ジャーシム・ビン・ジャブル・アール・サーニ (2007年4月 就任)
1995年6月26日、父親ハリファ首長の外遊中、皇太子 ハマド・ハリーファ・アール・サーニはクーデターにより全権を握り、新首長に就任した。
立法府:一院制 (総議席35、メンバーは首長によって指名される)
※将来的には、30議席を国政選挙により選出された議員から、15議席を首長により任命された議員からの計45名で構成され、法案提出等一定の立法権限を有する諮問評議会の設立を目指している。
諮問評議会 (Majlis al-Shura):憲法ではこの諮問機関の役割に対して選挙を要求しているが、選挙は行われていない。
政党およびその指導者:なし

経済

概況
石油はカタール経済のバックボーンであり、GDPの30%以上、輸出収入のざっと70%、政府の歳入の66%を占める。
現在確認されている37億バレルの石油埋蔵量は、現在の産出量で約23年続くと予測されている。
石油によってカタールは、西ヨーロッパの先進工業国に比肩するほどの一人当たりGDPを得ている。
天然ガスの生産と輸出はますます重要になっている。
長期的な経済発展のためには、沖合いの石油開発と経済の多様化が必要となるだろう。
GDP(MER): 839億1,000万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(MER):68,871.706ドル (2009年:IMF)
GDP(PPP): 1,021億4,700万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(PPP):83,840.734ドル (2009年:IMF)
国内総生産実質成長率:9.035% (2009年:IMF)
インフレ率(消費者物価):-4.865% (2009年:IMF)
失業率:0.5% (2009年推計)
国家予算 (2009年推計)
歳入:359.3億ドル
歳出:282.8億ドル
輸出:332.8億ドル (2009年推計)
商品:液化天然ガス(LNG)、石油製品、肥料、鉄鋼
相手国:日本34.68%、韓国 22.44%、シンガポール10.03%、インド 4.86% (2009年)
輸入: 208.9億ドル (2009年推計)
商品: 機械、輸送機器、食品、化学薬品
相手国
アメリカ 13.43%, イタリア8.34%、韓国8.33%、日本 8.04%、ドイツ 7.31%、フランス 6.26%、イギリス 5.59%、中国 5%, UAE 4.67%、サウジアラビア 3.96% (2009年)
対外債務703.7億ドル ( 2009年推計)
工業生産:成長率14.9% (2009年推計)
発電量: 151.1 億 kWh(2007年推計)
産業:液化天然ガス、原油生産や精製、アンモニア、肥料、石油化学、鉄鋼鉄筋、セメント、商業船舶修理
農業: GDPの0.1% 。果物、野菜、鶏肉、乳製品、牛肉、魚
通貨:カタール・リアル
1 Qatari riyal (QR) = 100 dirhams
為替レート:1ドル=3.6400 リアル (固定レート)

■運輸・交通

鉄道:0 km
幹線道路
全距離: 1,230 km
舗装: 1,107 km
未舗装:123 km (1996年推計)
通信
電話:160,000回線(1992年推計)
ラジオ局: AM 2、 FM 3、 短波 0
テレビ局:3

歴史

ペルシャ湾の地図

18〜19世紀
カタールは18世紀中頃、サーニ一族によって統治されていた。当時カタールはすでに真珠の中心地として知られていた。その中心は、島の北西部にあるズブラだった。
現在の首都ドーハは、当時さほど重要な貿易港ではなかった。19世紀から20世紀初頭には、カタールは他の沿岸諸国と同じく、非常に貧しかった。
20世紀
1915年、カタールの首長は、ドーハに基地をおいていたトルコの守備隊を追い払った。ドーハのトルコ軍はカタール首長にとってアラビア東部の各部族に対しての後ろ盾だったが、その存在は、弱点でもあった。第一次世界大戦でトルコとイギリスは敵であり、イギリスは湾岸の他の諸国を管理下においていたからだ。
トルコ軍を追い払った後、カタール首長は、イギリスと保護条約を結んだ。これはカタール首長がイギリスの許しなく他の外国勢力と交渉しない代わりに、イギリスがカタールの防衛をする、というものだった。
1916年にかわされた条約は、新たな条約が結ばれた1934年まで続いた。
カタールの生活は、1930年頃の真珠市場の崩壊以前でさえ厳しかった。貧しさ、飢え、栄養失調、病気が広がっていた。
首長は、1930年代初期にやってきた石油の採掘者を歓迎した。石油採掘権が1935年に与えられた。1939年、油田が発見された。しかし、第二次世界大戦により、生産が始まったのは10年後のことだった。
1949年、アリが首長となり、カタールの最初の石油ブームがやって来た。最初の歳入の大部分は学校、病院、道路など現代生活の基礎を確立するのに使われた。
この時の、政府のキーパーソンは、ハリファ・アル・サーニだった。アリ首長は毎日の政府の職務にほとんど興味を持たなかった。その結果、1950年代半ばまで、アリの甥であるハリファが、ほぼ国を運営した。1960年のはじめにアリ首長は退位し、息子のアフマドに首長を譲った。しかし新しい首長もまた父と同じく政務に興味を持たなかった。アフマドの即位のとき、ハリファは副首長および首相となった。
イギリスが、1971年終わりまでにその地域から撤退すると公表した時、カタールはバーレーンおよびトルーシャルオマーン(現在のUAE)と連邦結成の交渉を行った。バーレーンがその交渉から手を引くと、カタールもそれに倣い、ただちに1971年9月1日、独立を宣言した。その6カ月後、ハリファは宮廷革命により権力を手中にした。アフマッドの追放は彼が信頼を失っていた為、支配一族の幅広い承認を得た。いずれにしても15年以上、ハリファは、肩書きを除きすべての面でカタールの実権を握っていた。
ハリファの宮廷革命以来、カタールは国内的にはおおむね政治的安定を保ってきた。
対外的には、その地域の動乱に影響されている。湾岸の他の小国と同じく、イランでの1979年のイスラム革命は政府に衝撃を与えた。シーア派原理主義者たちの反政府運動が近年起こっている。
また、バーレーンとの領土問題も解決していない。
1995年6月、ハリファ首長がヨーロッパ外遊中、長男ハマド皇太子による無血クーデターが起こった。それにより、ハマド皇太子が首長に就任した。

人々

人口:84万926人 (2010年推計)
人口構成(2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性
0-14 歳 21.8% 88,040人 93,805人
15-64 歳 76.8% 185,004人 454,714人
65 歳以上 1.4% 4,930人 6,792人
人口増加率:0.869% (2010年推計)
出生率:人口1,000人当たり15.54人 (2010年推計)
死亡率:人口1,000人当たり2.44 人 (2010年推計)
乳児の死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり12.24人 (1998年推計)
平均寿命 (2010年推計)
男性 女性
73.78 歳 77.33歳
民族構成:アラブ人40%、 パキスタン人18%、 インド人18%、 イラン人10%、 その他14%
宗教: イスラム教95%
言語:アラビア語(公用語)、 英語は第2言語として一般に使われる。
識字率(15歳以上) (2004年census)
全人口平均 男性 女性
89% 89.1% 88.6%
労働力: 117.9万人(2009年推計)

地図

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