国名 | ミャンマー連邦(Union of Myanmar) |
面積 | 67万8,500平方km(日本の約1.7倍) |
人口 | 5,341万4,374人 (2010年推計) |
首都 | ネーピードー |
言語 | ビルマ語(ミャンマー語) |
宗教 | 仏教徒 89%、 キリスト教 4%、 イスラム教 4% |
通貨 | チャット(Kyat)。1 kyat (K) = 100 pyas |
為替レート | 1ドル=5.65チャット(公定レート/2010年8月平均) |
日本との時差 | -2時間30分 |
ビザ |
※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。 必ず、ミャンマー大使館、領事館などで確認してください。 |
国旗 | 赤地に青い長方形が巻き上げ側の上部角ににある。青地の部分にすべて白色で、 稲の茎が中にある 歯車を14の5角の星が囲んでいる。14の星は14の行政地域を表している。 |
国際電話 | |
- 位置:ビルマは、タイとバングラディシュに囲まれ、ベンガル湾に接している。
- 面積
- 総面積:678,500平方km(日本の面積の約1.7倍)
- 陸地の面積:657,740 平方km
- 国境線:バングラディシュと193 km、 中国と2,185 km、インドと1,463 km、 ラオスと235 km 、そしてタイと1,800 km 国境を接している。
- 気候:熱帯性モンスーン気候。曇ったり、雨がよく降り、暑く湿度の高い夏(7月〜9月)と、雲も少なく、雨もあまり降らない温暖で湿度の低い気候の冬(12月〜4月)に分かれる。
ラングーン(ヤンゴン)の気温・降水量- 地形: 中央の低地は険しくでこぼこした高地に囲まれている。
- 天然資源: 石油、木材、スズ、アンチモン、亜鉛、銅 、 タングステン、鉛、 石炭、 大理石、 石灰岩、宝石、 天然ガス
- 潅漑地:10,180 平方 km (1989年)
- 気候:熱帯性モンスーン気候。曇ったり、雨がよく降り、暑く湿度の高い夏(7月〜9月)と、雲も少なく、雨もあまり降らない温暖で湿度の低い気候の冬(12月〜4月)に分かれる。
- 正式名称:ビルマ連邦
- (英語:Union of Burma/ビルマ語:Pyidaungzu Myanma Naingngandaw )
以前は、ビルマ社会主義共和国連合
軍事政権により、現在の国名は「ミャンマー」と改名された。 - 政体:軍事政権
- 首都:ネーピードー
- 独立:1948年1月4日(イギリスより)
- 憲法:1974年1月3日(1988年9月18日以来停止されている):新憲法を起草するために、1993年1月9日に全国大会が始まった。:章の標題と15の節の3つは、すでに是認されている。
- 投票権:18才以上の国民
- 行政府:
- 首都:ネーピードー
- 元首および政府の長: タン・シュエ(Than Shwe)国家平和開発評議会(SPDC)議長
(1992年4月23日国家法秩序回復評議会(SLORC)議長就任以降元首)
国家法秩序回復評議会(SLORC):1988年9月18日に権力を奪い成立した軍事政権の名称。
1997年11月16日、軍事政権は、国家法秩序回復評議会(SLORC)を廃止し、国家平和発展評議会(SPDC)を設立した、と発表した。これはソフトイメージを与えるための単なる名称変更であり、タン・シュエ、マウン・エイ副議長、キン・ニュン第一書記、ティン・ウ第二書記の地位は変わっていない。 - 立法府
- 人民議会 (Pyithu Hluttaw): 最新の選挙は1990年3月27日に行われた。しかし、国会は召集されなかった。
- 選挙結果 : NLD 80%、
- 議席 (全議席485): NLD 396議席、体制支持の NUP 10議席、 その他79議席。 1988年9月18日の軍事クーデターの後、解散させられた。
2010年11月7日、総選挙が実施された。連邦団結発展党 (USDP) は、選挙管理委員会から選挙結果が発表されていない11月9日の段階で、独自集計の結果として「議席の8割を獲得した」と勝利宣言した。 - 選挙結果 : NLD 80%、
- 司法府:
- 制限されている。イギリス植民地時代の法制度のなごりがある程度、残っている。しかし公正な裁判は保証されない。裁判所は、行政府から独立してはいない。軍事政権の意のままである。
- 政党
- 連邦団結発展党 (USDP) :軍事政権の外郭団体である連邦団結発展協会(Union Solidarity and Development Association/ USDA) の後継組織。投手は、テイン・セイン首相。
- 国民統一党(National Unity Party/NUP) :体制支持、THA KYAW
- 国民民主勢力(United Democratic Front :NDF):旧NLDのうち出馬することを選択した勢力による政党。議長タン・ニェイン(Than Nyein)。
- 国民民主連盟(National League for Democracy/NLD):議長AUNG SHWE、事務局長アウン・サン・スー・チー(AUNG SAN SUU KYI )。2010年5月に解党。
- ほかに8つの認可された小さな政党がある。
- 国民統一党(National Unity Party/NUP) :体制支持、THA KYAW
- 他の政治・圧力団体
- ビルマ連邦国民連合政府(NCGUB):党首は選挙で選ばれた首相SEIN WIN(正当に選挙で国会に選ばれた人々からなる。しかし軍事政権はこれを認めていない。)彼らは国境地域に逃れ、1990年12月に体制反対派の人々と合同し、もう一つの政府を作った。
- カチン独立軍 (KIA)、 United Wa State Army (UWSA)、カレン国民連合 (KNU)、いくつかのシャン族の党派がある(the Mong Tai Army (MTA)を含む)、全ビルマ学生民主戦線 (ABSDF)
- 国際環境
- 1997年7月23日、ビルマ(ミャンマー)はラオスとともにASEANに正式加盟した。アメリカは、ビルマ(ミャンマー)に進出する企業に対して制裁を宣言している。日本企業は積極的に進出しているようだ。
- 国旗:
- 赤地に青い長方形が巻き上げ側の上部角ににある。青地の部分にすべて白色で、 稲の茎が中にある歯車を14の5角の星が囲んでいる。14の星は14の行政地域を表している。
- 概況:
- ビルマは、農業、軽工業、輸送関連企業が私営企業であり、エネルギー、重工業、外国貿易関連企業が国営の混合経済である。
1989〜97年の9年間、政府は過去40年間の厳しい中央計画経済を見直し、経済の復興を目指した。
私営企業は際立って増加した。
外国からの投資は、今まではある程度の成功をおさめ活気づいている。
国営企業の生産効率は上がっている。
ビルマの外国貿易について外国の投資の概算が公表されたが、大きなブラックマーケットが存在するのために、実質はもっと多いと思われる。
現在の大きな問題は、通貨と財政の安定政策が失敗しているということである。
ビルマは、依然アジアの貧しい国のままであるが、その豊かな資源は、十分長期的に収入、輸出、生活水準を向上させる可能性を秘めている。 - GDP(MER): 275億5,300万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):459.365ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 718億1,800万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):1,197.333ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:4.837% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):6.500% (2009年:IMF)
- 国家予算 :(2009年推計)
- インフレ率(消費者物価):6.500% (2009年:IMF)
- 歳入:11.8億ドル
- 歳出: 24.32億ドル
- 輸出:68億6200万ドル(2009年推計)
- 商品: 天然ガス、木材製品、豆類、豆、魚、米、衣類、翡翠や宝石
- 相手国:タイ46.57%、インド 12.99%、中国9.01%、日本5.65% (2009年)
- 輸入:40億2,000万ドル (2009年推計)
- 商品: ファブリック、石油製品、肥料、プラスチック、機械、輸送機械、セメント、建設資材、原油、食料品、食用油
- 相手国:中国33.1%、タイ26.28%、シンガポール15.18% (2009年)
- 対外債務:70億7,900万ドル (2009年推計)
- 工業生産:成長率1.2% (2009年推計)
- 発電量: 62.86億 kWh(2007年推計)
- 産業:
- 工業生産:成長率1.2% (2009年推計)
- 農産加工、木材や木材製品、銅、錫、タングステン、鉄、セメント、建設材料、医薬品、肥料、石油や天然ガス、衣類、翡翠や宝石
- 農業:
- GDPの43.1%と雇用の 70%を占める(漁業、牧畜、林業を含む)・米、豆類、豆、ゴマ、落花生、サトウキビ、木材、魚、魚加工品
- 麻薬:
- 世界第2位のアヘン生産地(2008年に340トン)
- 通貨:チャット
- 1 kyat (K) = 100 pyas
- 為替レート:
- 1ドル=5.65チャット(公定レート/2010年8月平均)
- 非公式レート :1,090チャット(2009年)
- ■〜19世紀
- ミャンマーの有史以前の歴史は、三つの集団の移住から始まった。
最初は現在のカンボジアから来たモン族である。そしてヒマラヤ東部からモンゴル系ビルマ人、後ににタイ北部からタイ族が移住した。
11世紀、ビルマ王国が最初に現在のビルマを領土として支配下においた。しかし異なる種族の統一に失敗し崩壊した。1287年、元が侵略した。
続く250年間は、ビルマは混乱の中にあった。そして国土は16世紀中頃まで再統一されなかった。
16世紀中頃、トングー王国が彼らの勢力を広げシャムを打ち破った。
18世紀、ビルマはモン族と高地民族が各々の王国を建設したことにより、分裂した。
1767年、ビルマはシャムを侵略し、アユタヤを略奪した。シャムは彼らの首都バンコクへ退却した。
1824年、1852年、1883年とイギリスはビルマに侵攻し、ビルマは領土を失っていった。 1886年、ビルマはイギリス領インドの一部となった。イギリスは通常の植民地のインフラを整備し、ビルマを米の大輸出国として発展させた。 インド人と中国人がイギリスによって連れてこられ、人種混合は複雑になった。 - ■20世紀
- 1937年、ビルマはイギリス領インドから分かれ、独立運動が芽を吹いた。
1941年、第二次世界大戦で、日本軍が東南アジアに侵攻した。
1941年12月16日、バンコクで、ビルマ独立義勇軍が設立された。
日本軍は、ビルマの独立勢力に接触し、資金、武器援助を確約した。
アウン・サン将軍は、ビルマ独立義勇軍を率い日本軍とともにビルマに侵攻し、1942年7月には、ビルマ全土からイギリスを駆逐した。日本軍は、ビルマ独立義勇軍を解散させた。ビルマ全土を日本の軍政下においた。
1943年、日本は、戦争遂行の為、ビルマの協力を得ようと形ばかりの新政権を認めた。ビルマ政府の首相はバモオ、国防相にアウンアサン将軍(アウン・サン・スーチーさんの父)、ビルマ国軍の指令官にはネ・ウィンが就任した。そして政治的にビルマ人の支持を得ようとした。
しかし、実権を握っていた日本の弾圧は続き、1944年、アウンサンはビルマの独立は形ばかりのものだと批判し、ビルマには日本に対する反対勢力が作られた。
ビルマ国軍、共産党、人民革命党などを中心として、ファシスト打倒連盟(後に反ファシスト人民自由連盟と改称)が作られ、アウン・サン将軍が指導した。
1945年3月27日、反ファシスト人民自由連盟(パサパラ)は日本軍に対して、反乱を起こし、5月にはラングーンを占領した。
1947年、アウン・サン将軍は、テロによって殺害された。 - ■独立
- 1948年1月4日、ビルマは独立した。反ファシスト人民自由連盟(パサパラ)が政権を担った。 しかし高地民族、共産主義グループ、イスラム教徒、モン族などが反乱を起こし、分裂し始めた。
1962年3月、ネ・ウィン将軍に率いられた左翼将校がクーデターを起こし、トラブルが続く民主主義政府を打ち倒し、ビルマに社会主義を導入した。
ビルマの経済はこの後25年以上も停滞を続けた。
1987年、1988年にビルマの国民による大規模なデモが、ネ・ウィンの退陣を呼びかけた。そして民主主義支持のデモ隊と軍の大規模な衝突で6週間に3000人が死亡した。
ネ・ウィンは表舞台から降り、幾人かの傀儡がネ・ウィンによって任命された。そして(ネ・ウィンにより煽動されたと信じられている)軍事クーデターが起こった。これによりソウ・マウンが権力を握った。ソウ・マウンは国家法秩序評議会(SLORC)を発足させ、ビルマを統治した。
ソウ・マウンは1989年に選挙を行うことを約束した。
1990年、あらゆる妨害工作を行ったにも関わらず軍事政権は、総選挙で国民民主同盟(NLD)に大敗した。NLDは総議席485の内396議席を獲得した。
軍事政権は、当選者が議席につくのを妨げ、アウン・サン・スーチー女史を含む党のリーダーたちを拘束した。
アウン・サン・スーチーは、1989年7月20日以来、6年間自宅軟禁された。
1995年3月、軍事政権は国民民主同盟の指導者たちを刑務所から釈放し、7月10日、アウン・サン・スーチー女史の自宅軟禁を解いた。
1995年前半には、国家法秩序評議会(SLORC)は、カレン族、シャン族、カチン族などの少数民族の反政府勢力の抵抗を鎮圧し、全土をほぼ制圧した。
2007年9月、全国的な僧侶のデモが発生。治安当局による制圧で多数の死傷者が発生した。取材中の日本人ジャーナリストも銃撃され死亡した。
2010年11月7日、総選挙が実施された。 2010年11月13日、スー・チー女史に対する自宅軟禁措置が解除された。
- 人口:5,341万4,374人 (2010年推計)
- 人口構成(2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 25.3% 5,990,658人 6,193,263人 15-64 歳 69.3% 16,828,462人 16,510,648人 65 歳以上 5.4% 1,493,298人 1,121,412人 - 人口増加率:1.096% (2010年推計)
- 出生率:1,000人当たり9.49人(2010年推計)
- 死亡率: 1,000人当たり 8.23人 (2010年推計)
- 乳児死亡率:出生1,000人当たり50.76人 (2010年推計)
- 平均寿命 (2010年推計)
男性 女性 62.23歳 66.94歳 - 民族構成: ビルマ人 68%、 シャン9%、 カレン 7%、 Rakhine 4%、 中国人 3%、 モン2%、インド人 2%、 その他5%
- 宗教: 仏教徒 89%、 キリスト教 4% (バプテスト3%、 カトリック1%)、 イスラム教 4%。アニミズム信仰1%、 その他2%
- 言語:ビルマ語。 少数民族は彼ら自身の言語を使用している。
- 識字率(15才以上 )(2006年推計)
全人口平均 男性 女性 89.9% 93.9% 86.4% - 労働力:3,085万人(2009年推計)
- 職業: (2001年推計)
農業 工業 サービス業 70% 7% 23% - 人口構成(2010年推計)