国名 | タイ王国 |
面積 | 51万4,000 平方km (日本の約1.36倍) |
人口 | 6,708万9,500人 (2010年推計) |
首都 | バンコク |
言語 | タイ語 |
宗教 | 仏教95% |
通貨 | バーツ |
為替レート | 1ドル=34.318バーツ(2009年) |
日本との時差 | -2時間 |
ビザ |
※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。 必ず、タイ大使館、領事館などで確認してください。 |
国旗 | |
国際電話 | |

- 位置: 東南アジアに位置し、アンダマン海とシャム湾に面し、ビルマの南東にある。
- 面積
- 全面積: 514,000 平方km
- 陸地の面積: 511,770 平方km
- 国際紛争:ラオスとの国境紛争。ベトナムとの未解決の領海線 。
- 気候:熱帯性気候。雨が多く、やや暑く、曇りがちな南西モンスーン (5月中旬から9月)。乾燥して、涼しい北東モンスーン (11月から3月中旬)。南部の地峡はいつも暑く湿気がある。
バンコクの気温と降水量- 地形:中央部は平地。東部はコラート高原。他の地域には山がある。
- 天然資源:スズ、ゴム、天然ガス、タングステン、木材、鉛、魚、石膏、褐炭、蛍石
- 気候:熱帯性気候。雨が多く、やや暑く、曇りがちな南西モンスーン (5月中旬から9月)。乾燥して、涼しい北東モンスーン (11月から3月中旬)。南部の地峡はいつも暑く湿気がある。
- 正式名称:タイ王国(英語:Kingdom of Thailand)
- 政体:立憲君主制
- 首都:バンコク
- 行政区分:76州
- 独立: 1238年 (歴史上建国された年。植民地化されたことはない)
- 祝日:プミポン国王の誕生日、12月5日 (1927年)
- 憲法: 新しい憲法は 1991年11月7日是認された。1992年6月10日改正された。 1997年10月11日改正された。
- 選挙権: 21歳以上の国民
- 行政府
- 政体:立憲君主制
- 元首: プミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世王)(1946年6月即位)
- 政府の長: 首相:アピシット・ウェーチャチーワ(Abhisit Vejjajiva)(2008年12月17日就任)
- 政府の長: 首相:アピシット・ウェーチャチーワ(Abhisit Vejjajiva)(2008年12月17日就任)
- 立法府:二院制(Rathasatha)
- 上院(Vuthisatha):150名(公選 76名、任命 74名)
- 下院(Saphaphoothan-Rajsadhorn):480名(選挙区 400名、比例区 80名)
- 下院(Saphaphoothan-Rajsadhorn):480名(選挙区 400名、比例区 80名)
- 2007年12月23日、下院選挙が行われた。
2007年12月23日の選挙結果:議席(全議席480議席)政党 議席 人民の力党 233 民主党 164 国民党 34 国家貢献党 24 中道主義党 11 タイ団結国家開発党 9 臣民党 5 - 国旗:上から赤、白、青(2倍の幅)、白、赤の5つの水平な帯。
- 防衛費: 40億ドル、 GNPの2.5% (94/95年)
■軍事
- 概況
- タイの経済は、1992年5月の政治的動乱から急速に回復した。GDP年間成長率は、1992年には7.5% の高成長率を記録し、1993年は7.8%、1994年には8%を達成した。
タイは、アジアでもっとも発展した開発途上国の一つであり、国の急速な成長を得るためには工業品の輸出とサービス分野の発展にかかっている。 タイの最近の輸入の多くは、資本の設備であり、輸出分野が今以上の成長をするために必要な物を示している。
外国からの投資が鈍ってくるにつれ、政府は国内資本の産出を増やそうとした。
チュアン政権からバンハーン政権と民主的に選挙で選ばれた政権はビジネスの信用を改善してきた。 しかしチュアン政権、バンハーン政権は、与党内の汚職スキャンダルにまみれ、インフラ整備、政治改革はなかなか進まなかった。国内景気も後退していった。
労働集約型の衣料製品、靴などが、中国などの追い上げで競争力を失ない、1996年の輸出はマイナスに転じた。
1990年代初頭、タイは資本の流入を自由化した。91年4月、外国為替管理の自由化、93年3月にはバンコク・オフショア市場が開設された。
またタイでは、対ドルレートを一定の変動幅以内に制限しており、内外金利差により膨大な資本が流入してきた。
銀行や他の企業はドルで資金を借り入れ、為替交換レートのリスクに注意を払わずその危険を防がなかった。これらの資金は、1990年代半ばにはすでにブームの終わりかけていた不動産に融資された。加えて、以前はタイ経済の原動力であった輸出の伸びは、1996年にはマイナスとなった。その結果、タイ中央銀行がバーツの対ドルレートを維持するという見通しが流布した。
1997年〜98年、多くのタイ企業、特に銀行・金融関連企業が厳しい金融問題に直面し倒産した。
1997年5月14日、バーツへの投機売りが強まり、タイ通貨当局は、シンガポール、香港などと共に協調介入した。 タイ中央銀行は外貨交換レートを守るために介入したが、その結果外貨準備高はほとんど枯渇してしまった。
7月12日、タイ政府はバーツの変動相場制に移行し、バーツは急落した。
すでに支払問題を抱えていたタイ企業に外国への負債が急激に増大した。
8月5日、タイ政府・チャワリット首相は外貨準備高を補い金融市場の安定を取り戻すための包括的経済再建策を発表し、IMF(国際通貨基金)などに120〜150億ドルの支援を要請した。11日、東京にてIMFのタイ支援国会合が開かれ、総額172億ドルの金融支援の大枠が決まった。
しかし、IMFのプログラムおよび金融危機を処理する首尾一貫した政策を欠いているという圧力により、1997年11月、チャワリット首相は退陣した。
民主党のチュアン・リークパイ党首が7党連立政権を率い、IMFプログラムを忠実に守り、1998年2月には、暫定的ではあるが金融の安定化を取り戻した。
タイ経済の回復のためには、タイ企業の巨額の短期外国債務の繰り延べ、 外国負債への融資のための 輸出の高い伸びの回復、銀行システムへの大規模な資本の再注入が必要である。 - GDP(MER): 2,638億8,900万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):3,939.626ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 5,398億7,100万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):8,059.803ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:-2.278% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):3.526% (2009年:IMF)
- 失業率:1.5% (2009年推計)
- 国家予算 (2010年推計)
- インフレ率(消費者物価):3.526% (2009年:IMF)
- 歳入: 409億ドル
- 歳出: 515億ドル
- 輸出:1,507億ドル(2009年推計)
- 商品: 繊維、履物、水産物、米、ゴム、宝石類、自動車、コンピュータ、家電
- 相手国:アメリカ 10.94%、中国10.58%、 日本 10.32%、香港6.22%、オーストラリア 5.62%、マレーシア 5.03%、シンガポール 4.97% (2009年)
- 輸入: 1,180億ドル(2009年推計)
- 商品:資本財、中間財や原材料、消費財、燃料
- 相手国:日本 18.7%、中国 12.73%、マレーシア 6.41%、アメリカ 6.31%、 UAE 4.98%,、シンガポール4.27%、韓国 4.05% (2009年)
- 対外債務: 704.1億ドル( 2009年推計)
- 工業生産:成長率-4.2% (2009年推計)
- 発電量: 1,344億 kWh (2008年推計)
- 産業
観光、繊維、衣料、農産加工、飲料、タバコ、セメント、ジュエリー、電化製品、コンピューターおよび部品、集積回路、家具、プラスチック、自動車、自動車部品などの軽工業、世界第二位のタングステン生産と第3位スズ生産- 農業 :GDPの11.6%と労働力の42.4%を占める。米、キャッサバ(タピオカ)、ゴム、トウモロコシ、サトウキビ、ココナッツ、大豆
- 通貨:バーツ
- 工業生産:成長率-4.2% (2009年推計)
- 1 baht (B) = 100 satang
- 為替レート: 1ドル=34.318バーツ(2009年)
-
交通・運輸
- 鉄道:4,625km
- 幹線道路
- 鉄道:4,625km
- 全長: 64,600 km
- 舗装: 62,985 km
- 未舗装:1,615 km(1996年推計)
- 舗装: 62,985 km
-
通信
- 電話: 155万台 (1994年推計)
- ラジオ局 : AM 200 (ネットワークは政府が管理している)、 FM 100 (ネットワークは政府が管理している)、短波0
- テレビ局: 11 (ネットワークは政府が管理している)
- 電話: 155万台 (1994年推計)
タイの初期の文明はタイ中央部のモン族の文明だと言われている。モン族はインド亜大陸から仏教をもたらした。
12世紀には、彼らは東から来たクメール文化、北部へ移動したスマトラのスリーヴィジャヤ文化、南部へ移住してきたタイのNan Chao国(現在の中国南部の市民)と出合った。 1238年、タイ族の二人の首長が、クメール王朝に支配されていたスコータイを制圧し、首都としてタイ族最初の王朝をスコータイ朝を興した。この王朝は1378年、アユタヤーの属国となった。
一方1296年建設されたチェン・マイを首都として、ランナー・タイ国が栄えたが、1556年、ビルマの侵略により滅亡した。
アユタヤーでは、1350年、アユタヤー王国が興り、1378年、スコータイを属国とし、400年以上も栄えた。
16世紀、18世紀にはビルマ人が、シャムを侵略し、チェン・マイを占領し、アユタヤーを破壊した。 アユタヤーは、1767年、ビルマ軍により陥落し、市内は徹底的に破壊された。
1767年、タークシンはビルマ人を追い出し、首都を現在のバンコクのトンブリー地区に移し、王朝を興した。
1782年、現在のチャクリー王朝がチャクリー将軍(ラマ1世)により創設され、首都をチャオプラヤー川の対岸バンコクに移した。
19世紀、シャムは、ヨーロッパの強国を互いに競わせる事によって、なんとか独立を保っていた。
1932年、無血クーデターにより、タイは絶対王政から立憲君主制へ移行した。そして1939年シャムはタイと国名を変更した。
第二次世界大戦中、タイ政府は日本軍のタイ占領を許した。
戦後、タイは軍部により支配され、20回以上のクーデターを経験した。民主主義体制は幾度ものクーデターで、短期間に終わった。
1979年の民主選挙後は、軍部から経済エリートへの権力の移行により長期間の安定と繁栄を見た。
しかし1991年2月、軍事クーデターによりチャチャイ政権が倒された。そして1992年5月4日、スチンダ将軍を首相とする軍部内閣が成立した。これに反対する市民は、抗議集会、デモを連日開催し、そのデモ隊に軍・警察が発砲し、死者50人といわれる流血事件が発生した。プミポン国王が裁定に乗り出し、5月24日、スチンダ将軍は退陣した。
1992年9月13日、5党による連立政権チュアン・レークパイ政権が成立した。チュアン政権は、その優柔不断さと、土地改革スキャンダルで崩壊し、チュアン首相は1995年、5月19日、下院を解散した。
1995年、総選挙が行われ、野党が過半数を制した。
1995年7月18日、7党による連立政権バンハーン・シルパ・アーチャ内閣が成立した。
- 人口: 6,708万9,500人 (2010年推計)
- 人口構成(2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 20.8% 6,690,554人 7,013,877人 15-64 歳 70.5% 23,519,298人 23,000,156人 65 歳以上 8.7% 3,162,282人 2,612,269人 - 人口増加率: 0.653% (2010年推計)
- 出生率: 人口1,000人当たり13.01人 (2010年推計)
- 死亡率:人口1,000人当たり 6.47人(2010年推計)
- 乳幼児死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり16.71人 (2010年推計)
- 平均寿命 (2010年推計)
全人口平均 男性 女性 75.02歳 72.94歳 77.21歳 - 民族構成: タイ族系75%、中国系14%、その他11%
- 宗教: 仏教95%、イスラム教3.8%、キリスト教 0.5%、ヒンズー教0.1%、その他 0.6% (1991年推計)
- 言語: タイ語。英語はエリートの第二言語。少数民族の言語や地方の方言がある。
- 識字率(15歳以上) (2000年census)
全人口平均 男性 女性 92.6% 94.9% 90.5% - 労働力: 3,843万人(2009年推計)
- 職業 (2008年推計)
農業 工業 サービス業 42.4% 19.7% 37.9% - 人口構成(2010年推計)
