国名 | トルクメニスタン |
面積 | 488,100平方km(日本の約1.29倍) |
人口 | 429万7,629人 (98年推計) |
首都 | アシガバット(Ashgabat) |
言語 | トルクメン語72%、ロシア語12%、ウズベク語9% |
宗教 | イスラム教87%、ロシア正教11% |
通貨 | マナト(Manat) |
為替レート | 1ドル=5,200マナト |
日本との時差 | |
ビザ | 入国にはビザが必要。 |
国旗 | |
国際電話 | |

- 面積
- 全面積:488,100平方km
- 陸地の面積: 488,100平方 km
- 国境線:全長3,736 km、アフガニスタン744 km、イラン992 km、カザフスタン 379 km、ウズベキスタン1,621 km
- 海岸線:0 km
- 注:トルクメニスタンの国境はカスピ海にある (1,768 km)
- 国際紛争:カスピ海の領海線はまだ確定していない。
- 気候:亜熱帯性気候。砂漠 。
- 地形: 平地から起伏する砂漠が南部の山脈に向かって隆起している。 イランとの国境に沿って低い山が連なっている。西部はカスピ海の領海線。
- 天然資源: 石油、天然ガス、石炭、硫黄、塩
- 海岸線:0 km
- 正式名称:トルクメニスタン(英語:Turkmenistan/Turkmenistan)
- 注:以前は、トルクメン・ソビエト社会主義共和国
- 政体:共和制
- 首都:アシュガバト
- 独立:1991年10月27日 (ソ連から)
- 憲法:1992年5月18日
- 選挙権: 18歳以上の国民すべて
- 元首:グルバングルィ・ベルディムハメドフ大統領(2007年2月就任)
- 注:以前は、トルクメン・ソビエト社会主義共和国
- 独裁体制を敷いていたニヤゾフ大統領が、2006年12月死去し、大統領選挙が、2007年2月11日に同国初の複数候補者による大統領選挙が実施され、ベルディムハメドフ大統領代行(前副首相兼医療産業相)が89.23%の得票率により当選し、同14日、大統領に就任した。
- 行政府:
- 政府の長:首相 存在しない
- 立法府:
- 一院制国会(Majlis):任期5年、定数125
- 国会 (Majlis):最新の選挙は2008年12月14日行われた。
- 国会 (Majlis):最新の選挙は2008年12月14日行われた。
- 政党:
- 概況:
- トルクメニスタンは大部分を砂漠が占め、遊牧民の家畜飼育、潅漑されたオアシスでの集約的な農業、
膨大な天然ガスと石油資源を持つ国家である。
潅漑地の半分は世界第10位の綿花生産に当てられている。また世界第5位の天然ガスの埋蔵量と莫大な石油埋蔵量を持っている。
1993年末までに、トルクメニスタンは、他の旧ソビエト諸国ほど経済的混乱を被らなかった。 それは石油とガスの価格の上昇と外貨収入の急激な増加を受けたことによった。
1994年、ロシアはドルと交換できる通貨市場へのトルクメニスタンの天然ガスの輸出を拒否し、旧ソビエト諸国の天然ガス輸入国では債務が増加した。
それによってトルクメニスタンの工業生産は急激に落ち込み、財政が黒字から若干の赤字へと転落する原因となった。
経済改革と民営化に向けた慎重な取り組みでさえスローダウンした。
1995年、トルクメニスタンは、ガスに対する輸入国の支払い不能と1994年の綿花の低収穫によって、引き続く経済問題に直面した。
1996年、経済は底上げした。しかし高いインフレは続いた。なおその上、旧共産党による独裁的な政権が権力を握り、社会構造は部族を基礎としているため、経済改革には慎重であり、非効率な経済を支えるためのガスと綿花の売上に望みをかけている状況である。
1996年、政府は、統一的な市場ベースの交換レート、競売による政府債券の配当、 財政不足に対応した厳しい支出制限を目的とした安定化プログラムを始めた。 しかし民営化は限られている。
トルクメニスタンはイランおよびトルコを経由する天然ガスの新しい輸出のチャンネルを開こうと努力している。しかし実現には長い年月がかかりそうである。 - GDP(MER): 不明 (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):3,242.084ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 319億6,600万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):5,971.186ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:4.150% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):0.025% (2009年:IMF)
- 失業率: 不明
- 国家予算(1996年推計)
- インフレ率(消費者物価):0.025% (2009年:IMF)
- 歳入: 5億2100万ドル
- 歳出: 5億4800万ドル
- 輸出: 旧ソビエト諸国以外へ17億ドル (1996年推計)
- 商品:天然ガス、綿、石油製品、電気、織物、じゅうたん
- 相手国:ウクライナ、ロシア、カザフスタン、ウズベキスタン、グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア、東ヨーロッパ、トルコ、アルゼンチン、ドイツ、アメリカ
- 輸入: 旧ソビエト諸国以外から15億ドル (1996年推計)
- 商品:機械および部品、穀物および食品、プラスチックおよびゴム、耐久消費財、織物
- 相手国:ロシア、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、カザフスタン、トルコ、アメリカ、ドイツ
- 発電量: 92億kWh(1995年)
- 一人当たり消費量: 2,013 kWh (1995年)
- 産業:天然ガス、石油、石油製品、織物、食品加工
- 農業: 綿、穀物、畜産
- 通貨:1993年11月1日、トルクメニスタンは通貨としてマナト(manat)を導入した。
- 為替レート:
- 農業: 綿、穀物、畜産
- 1ドル=マナト :4,070 (1997年)、2,400 (1996年)
-
■交通・運輸 - 鉄道
- 全長: 2,187 km
- 幹線道路
- 全長: 24,000 km
- 舗装および砂利: 19,488 km
- 未舗装:土4,512 km (1996年推計)
- 舗装および砂利: 19,488 km
- 空港:64
-
■通信 - 電話: 100人当たり7.5 回線(1991年)
8〜10世紀頃 | トルクメン民族の起源とされるオグズ族が、アラル海付近のステップ地帯を中心に中央アジア地域に展開 |
10世紀 | イスラム教に改宗したオグズ族の他称としてトルクマーンが使用されるようになった |
11世紀〜12世紀頃 | テュルク系セルジューク朝の下、各地で軍事的な主力として活躍 |
14世紀〜16世紀 | 現在のトルクメン諸部族の形成が進む |
16世紀〜19世紀 | ヒヴァ・ハン国やブハラ・アミール国の下、現在のトルクメニスタン領オアシス地域に徐々に定着。半農半牧の生活に移行 |
1869年 | 帝政ロシアがカスピ海東岸に侵攻し、クラスノヴォツク(現トルクメンバシ)の礎を築く |
1881年 | ギョクデペの戦い(帝政ロシア軍の侵攻に対する熾烈な抗戦) |
1885年 | 帝政ロシアがトルクメン諸部族のほとんどを支配下に |
1924年 | ソ連の民族共和国境界画定によりトルクメン・ソヴィエト社会主義共和国が成立 |
1990年8月22日 | 共和国主権宣言 |
1990年10月27日 | ニヤゾフ大統領就任 |
1991年10月27日 | 共和国独立宣言 |
1992年5月16日 | 共和国憲法採択 |
1995年12月 | 国連総会において「永世中立国」として承認される |
1999年12月28日 | 議会の全会一致によりニヤゾフ大統領が終身大統領に |
2006年12月21日 | ニヤゾフ大統領死去 |
2007年2月14日 | ベルディムハメドフ現大統領就任 |
- 人口:494万916人 (2010年推計)
- 人口構成(1998年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 28.9% 697,222人 713,698人 15-64 歳 66.9% 1,646,992人 1,618,678人 65 歳以上 4.3% 117,945人 90,352人 - 人口増加率:1.14% (2010年推計)
- 出生率:人口1,000人当たり19.62人(2010年推計)
- 死亡率:人口1,000人当たり6.27人 (2010年推計)
- 乳幼児死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり43.84人(2010年推計)
- 平均寿命 (2010年推計)
全人口 男性 女性 68.2歳 65.25歳 71.29歳 - 民族構成:トルクメン人77%、ウズベク人9.2%、ロシア人6.7%、カザフ人2%、その他5.1%(1995年推計)
- 宗教:イスラム教87%、ロシア正教11%、その他2%
- 言語:トルクメン語72%、ロシア語12%、ウズベク語9%、その他7%
- 識字率(15歳以上): (2010年推計)
全人口 男性 女性 98.8% 99.3% 98.3% - 労働力: 230万人 (2008年推計)
- 職業: (2004年推計)
農業および林業 製造業 サービス業 48.2% 14% 37.8% - 失業率:60% (2004年推計)
- 人口構成(1998年推計)
