国名 | アルバニア共和国 |
面積 | 28,748平方km |
人口 | 約310万人 |
首都 | ティラナ |
言語 | アルバニア語 |
宗教 | イスラム教徒70%、ギリシャ正教 20%、カトリック10% |
通貨 | 単位はレク(lek) 。 1 lek(L) = 100 qintars |
為替レート | 1ドル=約139.9レク |
日本との時差 | |
ビザ | |
国旗 | 不明 |
国際電話 | |
入国ルート | |
在外公館 | 在イタリア日本大使館が在アルバニア日本大使館を兼轄している。 |
在日公館 | 在北京アルバニア大使館が在日本アルバニア大使館を兼轄している。 |
- 位置:東ヨーロッパのバルカン半島南西部にある。南にギリシャ、北にモンテネグロ、コソボ、東にマケドニア、西にアドリア海とイオニア海に国境を接する 。
- 面積: 28,748 平方km(世界144位)
- 気候:
- 地形:
- 天然資源:
- 面積: 28,748 平方km(世界144位)
- 正式名称:アルバニア共和国
(英語:Republic of Albania)- 政体:共和制
- 首都:ティラナ
- 独立:1912年11月28日(オスマン帝国より)
- 憲法:
- 法律制度:
- 元首: 大統領バミル・トピ
- 行政府:
- 政体:共和制
- 政府の長: サリ・ベリシャ(Sali Ram Berisha)(2005年9月11日就任)
- 立法府:、一院制
- 政党:社会党(旧アルバニア労働党)、アルバニア民主党、緑の党、社会民主党、人権党連合等
- 投票権:18歳以上
- 政党:社会党(旧アルバニア労働党)、アルバニア民主党、緑の党、社会民主党、人権党連合等
- 概況:
- 国内総生産(GDP): 121億8,500万ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率: 2.8% (2009年:IMF)
- 一人当たり国内総生産:3,825ドル (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):3.515% (2009年:IMF)
- 国家予算
- 国内総生産実質成長率: 2.8% (2009年:IMF)
- 歳入: 33億6,800万ドル
- 歳出: 42億2,700万ドル (2009年推計)
- 輸出:10億4,800万ドル(2009年推計)
- 輸入:42億6,400万ドル (2009年推計)
- 相手国:イタリア、ギリシャ、Turkey、オーストリア、ドイツ、中国
- 対外債務: 15億5,000万ドル(2009年推計)
- 通貨:レク(leke)
- 為替レート:
- 通貨:レク(leke)
- 1ドル= 93.928レク (2009年)
古代、アルバニアはイリュリアと呼ばれていた。 | |
紀元前2世紀 | ローマ帝国の支配下に入る。 |
4世紀 | ローマ帝国が東西に分裂し、東ローマ帝国の一部となる。 |
1478年 | オスマン帝国の支配下に入る。この後、約400年間オスマン帝国の支配が続いた。 |
19世紀後半より | 民族運動が活発化する |
1912年 | オスマントルコから独立 |
1939年 | ムッソリーニのイタリア軍侵攻により、イタリアの保護領となり、後に併合 |
1944年 | イタリアが連合国に降伏した後、 ドイツ軍が占領 |
1944年 | 共産党臨時政府樹立、全土解放 |
1946年 | エンヴェル・ホッジャを首班とする共産主義政権が樹立され、アルバニア人民共和国が設立される |
1961年 | ソ連と断交 |
周囲の共産主義国家とほぼ鎖国状態となって孤立を深め、経済は次第に悪化していった | |
1976年 | 中国の経済・軍事援助停止 |
1980年年代 | 経済状況が悪化の一途をたどり、欧州一の最貧国と呼ばれるまでになる |
1985年 | ホッジャ勤労党第1書記死去。ラミズ・アリアが後継者となる |
1990年 | 野党設立許可、複数政党制導入、外貨導入解禁 |
1991年 | 初の自由選挙、臨時憲法制定、米、英と国交回復、ECと外交関係、IMF、世銀、CSCE加盟。国名を「アルバニア共和国」に変更 |
1992年 | 総選挙でアルバニア民主党が圧勝し、初の非共産政権樹立。アルバニア民主党のサリ・ベリシャが大統領に選出される。OICに加盟 |
1994年 | PFP包括協定、PFP個別協定調印 |
1995年 | 欧州評議会に加盟 |
サリ・ベリシャは、市場主義経済への移行を押し進めたが、急激な市場経済化と共に行政の腐敗が横行し、失業率は上昇し、国民の不満が高まった。 | |
1990年代半ばからネズミ講が流行し、国民の3分の一が投資するまでになった。 | |
1997年 | ネズミ講が相次いで破綻。それが原因で暴動が発生するまでになり、 反政府暴動は全国に波及した。6月の総選挙の結果、野党社会党が圧勝し、サリ・ベリシャは大統領職を辞任した。 社会党を中心とする連立政権成立。社会党のレジェプ・メイダニが大統領に就任した。 |
1998年 | 新憲法制定 |
2000年 | WTO加盟 |
2003年 | EUとの間で安定化・連合協定(SAA)交渉を開始 |
2005年 | 7月の総選挙でアルバニア民主党が与党に返り咲き、サリ・ベリシャは首相に任命され、政権に復帰した。 |
2006年 | EUとの間で安定化・連合協定(SAA)に署名 |
2009年 | NATO加盟 |
- 人口:363万9,453人 (2010年推計)
- 人口構成: (2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 23.1% 400,816人 440,528人 15-64 歳 67.1% 1,190,841人 1,251,001人 65 歳以上 9.8% 190,710人 165,557人 - 人口増加率:0.546% (2010年推計)
- 平均寿命: (2010年推計)
男性 女性 75.28 80.89歳 - 人種:アルバニア人95%、ギリシャ人2%
- 宗教:イスラム教70%%、アルバニア正教20%、ローマ・カトリック10%
- 言語:アルバニア語
- 職業
農業 工業 サービス業 58% 15% 27% - 人口構成: (2010年推計)