コソボ

コソボ

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基本情報

国名 コソボ共和国(Republic of Kosovo)
面積 10,887平方km
人口 1,836,529人(2012年概算)
首都 プリシュティナ
言語 アルバニア語(公用語)、セルビア語(公用語)、ボスニア語など
宗教 イスラム教(主にアルバニア人)、セルビア正教(セルビア人)など
通貨 ユーロ
為替レート  
日本との時差  
ビザ  
国旗  
国際電話  
電圧  
  コソボ共和国を国家として承認しているのは、国連加盟193国のうち日本を含む75か国である(2011年5月現在)
   
   

地勢・気候

地図
位置:南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置し、かつてのユーゴスラビアに属した地域の南部に位置している。 北部・東部は、セルビア、北西部でモンテネグロ、南西部をアルバニア、南東部でマケドニアと接している。
面積:10,887平方km
気候: 冬は比較的寒く豪雪となり 、夏・秋は暑く乾燥している。10月から12月の間に降雨量が最大となる。地中海性気候と高山の影響で、気候は地域によりバリエーションがある。
地形: 2,000〜2,500mの複数の山脈に囲まれた海抜400〜700メートルの標高を持つフラットな河川流域
天然資源

政治

正式名称:コソボ共和国
(英語:Republic of Kosovo)
政体:共和制
首都:プリシュティナ
独立: 2008年2月17日 、コソボ議会が「コソボ共和国」の独立を宣言
憲法
法律制度
元首:アティフェテ・ヤヒヤーガ大統領(2011年4月就任、任期5年)
行政府
政府: コソボ民主党、新コソボ連盟、少数民族系11政党からなる連立政権
首相:首相:ハシム・サチ首相(コソボ民主党党首)(2008年1月就任、2011年2月再任、任期4年)
立法府:1院制(定数120名)
(2010年12月選挙。任期4年)
政党名 議席数
コソボ民主党 34議席
コソボ民主同盟 27議席
自己決定運動 14議席
コソボ将来同盟中心の選挙連合 12議席
新コソボ連盟 8議席
小数民族系12政党 25議席
政党
投票権:18歳以上

経済

概況
国内総生産(GDP): 66億8,400万ドル (2011年:IMF)
国内総生産実質成長率:5.3% (2011年:IMF)
一人当たり国内総生産:6,500ドル (2011年概算)
インフレ率(消費者物価):-2.4%(2009年、コソボ統計局)
国家予算
歳入: 17億4,000万ドル
歳出: 20億6,000万ドル (2011年推計)
輸出:4億1,900万ドル(2009年推計)
輸入:33億ドル (2011年推計)
相手国
輸出: イタリア、アルバニア、マケドニア(2009年、コソボ統計局)
輸入:マケドニア、ドイツ、セルビア(2009年、コソボ統計局)
対外債務
通貨:ユーロ
為替レート

歴史

   
13〜14世紀 中世セルビア王国及びセルビア正教会の中心地となる。多数のセルビア正教の教会、修道院が建立される。
1389年 コソボの戦いでセルビアがオスマン・トルコに敗退。以後、イスラム教に改宗したアルバニア人がコソボに入植開始。
1913年 バルカン戦争でトルコに勝利したセルビアがコソボを奪回。
1918年 ユーゴスラビア王国の一部となる。
1941年 第二次世界大戦中、ドイツ、イタリア、ブルガリアに分割占領される。
1945年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(6共和国で構成)が建国。セルビア共和国の一部として「コソボ・メトヒヤ自治区」が設立。1963年、「コソボ自治州」に改称。
1974年 ユーゴ憲法改正により、コソボは共和国に準じた大幅な自治権(独自の憲法、議会、政府、裁判所)を獲得。
1981年 コソボ自治州の共和国昇格を求めるアルバニア系住民による暴動発生。ユーゴ政府は治安部隊の投入により暴動を抑える一方、コソボ向けの開発援助資金を増大。
1989年 アルバニア系住民とセルビア系住民の対立が深まる中、セルビアはコソボの自治権を大幅に縮小。
1990年 アルバニア系住民が「コソボ共和国」の樹立とセルビアからの独立を宣言。これに対し、セルビアは自治州議会及び政府の機能を停止し、直接統治を開始。アルバニア系住民は武装組織「コソボ解放軍」(KLA)を組織化し、武力闘争開始。
1998年 セルビアがKLA掃討作戦を展開し、コソボの治安情勢と住民の人道状況が急速に悪化。OSCEがコソボ検証ミッションを派遣。
1999年3月 1999年2月、ランブイエ(仏)にて国際社会の仲介で和平交渉が開始されたが、セルビアがNATO軍のコソボ展開を受け入れず決裂。同年3月末、NATOは、コソボにおける人道的危機が深まったとしてコソボを含むセルビア全域の軍事目標及び経済インフラに対し空爆による攻撃開始。これに対し、セルビアがKLA掃討作戦を強化し、数十万のアルバニア系住民がコソボから流出し難民化(コソボ紛争)。
1999年6月 セルビア治安部隊のコソボ撤収によりNATO空爆終了。国連安保理決議1244号が採択され、国連(UNMIK)による暫定行政が開始され、また、NATO主体の国際安全保障部隊(KFOR)が展開。アルバニア系難民が帰還する一方、約26万人のセルビア人等非アルバニア系住民がコソボからセルビアに避難。
2002年4月 国連(UNMIK)による「地位の前に水準」政策開始。コソボの地位確定交渉を開始する前提として、コソボによる8つの達成目標(統治機関の構築、法の支配、避難民帰還、地方分権化等)を設定。
2005年11月 2004年春のアルバニア系住民による暴動発生を契機に、地位確定交渉開始の気運高まる。2005年11月、国連はアハティサーリ元フィンランド大統領を地位交渉仲介特使に任命し、コソボ、セルビア間の仲介交渉に当たらせる。
2007年3月 アハティサーリ国連特使が、国際社会の監督下によるコソボの独立案を国連に勧告。同案を承認する安保理決議案は採択されず。
2007年8月 米、露、EUの三者(トロイカ)の仲介によるコソボ、セルビア間の地位交渉が再開されたが、同年12月、不調に終わる。
2008年2月 17日、コソボ議会が「コソボ共和国」の独立を宣言。
アルク

人々

人口:1,836,529人 (2012年推計)
人口増加率
人種:アルバニア人92%、セルビア人、ボスニア人、ロマ人
宗教:イスラム教、セルビア正教、カトリック
言語:アルバニア語(公用語)、セルビア語(公用語)、ボスニア語、トルコ語、ロマ語
職業
農業 サービス業 工業
23.6% 不明 不明
(2010)

地図

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