国名 | バーレーン王国(Kingdom of Bahrain) |
面積 | 665平方km |
人口 | 73万8,004人 (2010年推計) 注:23万5,108人の非バーレーン人を含む |
首都 | マナマ |
言語 | アラビア語 |
宗教 | シーア派イスラム教 75%、 スンニー派イスラム教25% |
通貨 | バーレーン・ディナール 1 Bahraini dinar (BD) = 1,000 fils |
為替レート | 1ドル= 0.3780バーレーン・ディナール (BD) (固定レート) |
日本との時差 | -6時間 |
ビザ |
※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。 必ず、大使館、領事館などで確認してください。 |
国旗 | |
国際電話 | |
- 位置:ペルシャ湾にある群島、サウジアラビアの東。
- 面積
- 全面積:620平方km
- 陸地の面積: 620平方km
- 海岸線:161 km
- 国際紛争:カタールとハワール諸島に関しての領土紛争。カタールとの領海線問題。
- 気候:乾燥している・冬は穏やかで心地よい・夏は非常に暑く湿度が高い
- 地形:大部分は低い砂漠状の平地で中央部の低い山になだらかに上っている
- 天然資源:石油、天然ガス、魚
- 国際紛争:カタールとハワール諸島に関しての領土紛争。カタールとの領海線問題。
- 正式名称:バーレーン王国(英語 Kingdom of Bahrain )
- 政体:立憲君主制
- 首都:マナーマ
- 独立:1971年8月15日 (イギリスから)
- 憲法:2002年2月14日改正
- 法律制度:
- 投票権:20歳以上
- 国家元首:ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ国王(1999年3月〜)
- 行政府
- 政体:立憲君主制
- 政府の長:首相 ハリーファ・ビン・サルマン・アール・ハリーファ
- 立法府:二院制の国民議会
議会は立法権を持ち、諮問院(定員40名、勅撰)と下院(定員40名、男女平等普通選挙)からなる- 政党およびその指導者:
- 概況
- バーレーンは国土は非常に小さいが、経済的な資源と一人当たりの収入は多い。
石油生産と加工処理は輸出収入の約80%、政府の歳入の60%、GDPの30%を占めている。経済状況は1985年以来、石油の価格変動に左右されてきた。例えば、1990〜91年の湾岸危機およびそれ以降ではその影響は顕著である。
バーレーンは通信及び交通輸送設備が高度に整備されているため、多くの多国籍企業のペルシャ湾におけるビジネスの拠点となっている。輸出の多くが、輸入原油から作られる石油製品によって占められている。
現状では、失業、特に若者の失業が問題となっており、長期的に見ると石油および地下水源の枯渇が、経済上の大きな問題となる。 - GDP(MER): 202億1,400万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):19,455.292ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 281億2,400万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):27,067.986ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:2.888% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):2.783% (2009年:IMF)
- 失業率:15% (2005年推計)
- 国家財政: (2009年推計)
- インフレ率(消費者物価):2.783% (2009年:IMF)
- 歳入: 45億4,300万ドル
- 歳出: 57億2,900万ドル
- 輸出:120億5,000万ドル (2009年推計)
- 商品: 石油、石油製品、アルミニウム、テキスタイル
- 相手国: インド4.2%、サウジアラビア2.78%((2009年)
- 輸入:96億1,300万ドル(2009年推計)
- 商品: 石油以外63%、 原油37%
- 相手国: サウジアラビア22.91%、フランス9.76%、アメリカ7.95%、中国6.4%、韓国5.26%、日本5.19%、ドイツ5.01%、イギリス4.34%(2009年)
- 対外債務: 105.5億ドル(2009年)
- 工業生産:成長率-3.3% (2009年)、GDPの56.6% を占める
- 発電量:102.5億 kWh (2009年)
- 産業:石油処理精製、アルミニウム製錬、鉄ペレット、肥料、銀行、保険、観光、船舶修理
- 農業(漁業を含む):GDPの0.5%。 果物、野菜、鶏肉、乳製品、エビ、魚
- 通貨:バーレーン・ディナール
- 工業生産:成長率-3.3% (2009年)、GDPの56.6% を占める
- 1 Bahraini dinar (BD) = 1,000 fils
- 為替レート:1ドル= 0.3760バーレーン・ディナール (BD) (固定レート)
-
交通・運輸
- 鉄道:ない
- 主要道路:
- 鉄道:ない
- 全距離:2,670 km
- 舗装: 2,010 km
- 未舗装:660 km (1991年)
- 舗装: 2,010 km
-
通信
- 電話: 73,552回線(1987年推計)
- ラジオ局: AM 2、 FM 3、短波 0
- ラジオ台数: 32万
- テレビ
- 電話: 73,552回線(1987年推計)
- テレビ局: 2
- テレビ台数:27万(1993年推計)
- ■18〜19世紀
- 18世紀中頃、ハリファ一族がアラビア半島からこの地域に移住してきた。
彼らは最初カタール半島の北西部にあるズブラに居を構えた。そしてその地域で一番利益の上がる真珠貿易に従事した。
1782,3年頃、彼らはペルシャ人をバーレーンから駆逐した。しかし3年後、ハリファ一族はオマーンの侵入により追い払われた。一族がバーレーンへ戻ったのは1820年だった。
その後すぐ、バーレーン人の海族行為を止めるという条約がイギリスとかわされた。その条約は1835年、1861年に、改正されたが、いわゆる最初の保護条約となった。イギリスが軍事的な防衛をする代わりにバーレーンの外交をゆだねるというものだった。 イギリスの最大の関心事はその地域から他国の影響力を排除し、インドへ至るルートを保護するということだった。 - ■20世紀
- バーレーンは湾岸のアラブ世界で最初に石油が発見された場所である。それは1925年後半の事だった。それは、バーレーンにとって、良い時であった。そのころ世界の真珠貿易は崩壊していた。真珠貿易はバーレーンの主要経済を占めていたのだ。
一番重要な事実は、バーレーンでの石油の発見が湾岸諸国で最初だったというう事だった。バーレーンは石油収入で潤った。教育や医療面では劇的に改善された。
イギリスの湾岸での作戦にこの島は大きな役割を果たすようになった。
1935年、イギリス海軍は基地をこの島に移した。1946年、政治オフィスもバーレーンに移った。
バーレーンの近代化はハマド・ブン・アリ首長の下で始まり、その息子サルマンによって加速した。
1942年ハマド首長が亡くなり、サルマンが首長になった。彼は19年間在位したが、その間、国家の生活水準は飛躍的に上がった。
その間サウジアラビア、クウェート、カタールにおいて石油生産が爆発的に伸びた。
しかしアラブ世界でバーレーンの開発、保健衛生、教育レベルに匹敵する国はなかった。その結果、バーレーンは湾岸諸国の主要な企業国となった。
サルマンは1961年に亡くなった。そして彼の息子、現首長のイサ・ビン・スルマン・アル・ハリファが後を継いだ。
- ■独立
- イギリスが、1971年終わりまでにその地域から撤退すると公表した時、カタールはバーレーンおよびトルーシャルオマーン(現在のUAE)と連邦結成の交渉を行った。しかしイランがバーレーンの領有権を主張した。そのためその交渉は難航した。
国連によりイランとの問題は解決したが、バーレーンはその交渉から手を引き、1971年8月14日、独立を宣言した。1972年後半に、憲法を起草する為の憲法会議が、選ばれた。首長は1973年5月に憲法を発布した。そして1973年国民議会選挙が行われ、12月に召集された。しかしその20カ月後1975年に、急進的な国民大会の議員により行政府の職務が不可能であるという理由で、首長は国民議会を解散した。政党活動も禁止された。
1979年のイランでのイスラム革命は、バーレーンに警戒心を起こさせた。
支配層はイスラム教スンニー派だが、国民の70%はイランと同じシーア派である。政府はイランの影響を恐れている。現実に反体制運動も起こっている。
1970年代、80年代を通じて、バーレーンは大きな発展を遂げた。それは特に石油価格の高騰と、70年代終わりまでは他の湾岸諸国のと比べインフラ整備が進んでいたことによる。近年その企業国の地位に若干陰りが出てきたものの、経済は多様化し、石油への依存もますます減っている。
90年代には、イラクとの関係は急速に悪化している。湾岸戦争のとき、サダム・フセインがバーレーンに向けミサイルを発射した。そのミサイルは海上に落ちた。
カタールとはハワール諸島の領有権をめぐって、外交関係は冷えたままである。
- 人口:73万8,004人 (2010年推計)
注:23万5,108人の非バーレーン人を含む- 人口構成(2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 25.9% 93,256人 95,258人 15-64 歳 70.1% 217,81人 293,340人 65 歳以上 4% 13,76人 15,274人 - 人口増加率: 1.243% (2010年推計)
- 出生率:人口1,000人当たり16.81人 (2010年推計)
- 死亡率:人口1,000人当たり4.37人 (2010年推計)
- 乳幼児死亡率(1歳以下): 出生1,000人当たり14.76人 (2010年推計)
- 平均寿命(2010年推計)
男性 女性 72.87歳 78.01歳 - 民族構成:バーレーン人63%、アジア人 13%、 他のアラブ人 10%、 イラン人 8%、 その他6%
- 宗教:シーア派イスラム教 75%、 スンニー派イスラム教25%
- 言語:アラビア語、英語、ファルシー、ウルドゥ
- 識字率(15歳以上) (2001年census)
全人口平均 男性 女性 86.5% 88.6% 83.6% - 労働力:584,000人(2009年推計)
注:15-64歳の労働力の44%%は、非バーレーン人である- 職業:(1997年推計)
農業 製造業 サービス業 1% 79% 20% - 人口構成(2010年推計)
