ヨルダン

ヨルダン

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基本情報

国名 ヨルダン・ハセミテ王国(Hashemite Kingdom of Jordan)
面積 89,213 平方 km (北海道の約1.14倍)
人口 640万7,085人 (2010年推計)
首都 アンマン
言語 アラビア語 (公用語)
宗教 イスラム教スンニー派 92%、 キリスト教 4%
通貨 ヨルダン・ディナール 1 Jordanian dinar (JD) = 1,000 fils
為替レート 1ドル=約0.71JD 1JD=約166.90円(2007年4月)
日本との時差 -7時間
ビザ
ビザ
入国には基本的にビザが必要です。
航空機で入国する場合は到着時に空港で取得できます。
陸路で入国する場合は、国境の入国管理事務所では取得できませんので、 前もってビザを取得しておかなければいけません。
大使館、領事館で取得できるビザは、3カ月有効のシングルビザ、または6カ月有効のマルチプルビザがあります。
パスポート
6ケ月以上残存有効期間のあるもの

※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。
必ず、在日ヨルダン大使館、領事館などで確認してください。
国旗  
国際電話  

 
   
   
   

地勢・気候

地図
国土の面積:89,213 平方 km
陸地の面積:88,884 平方 km
国境線:全長1,619 km、 イラク 181 km、イスラエル 238 km、 サウジアラビア 728 km、 シリア 375 km、 ヨルダン川西岸 97 km
海岸線:26 km
気候:大部分は、乾燥した砂漠である。西部では、雨期がある(11〜4月)
アンマンの気温・降水量
地形:東部は、大部分が砂漠状の高原。西部は高地。東部は大部分が砂漠状の高原であり、西部は高地である。ヨルダン渓谷が、ヨルダン川の東岸と西岸を分断している。
天然資源: 燐酸塩、カリ、頁岩油

政治

正式名称:ヨルダン・ハセミテ王国
(英語: Hashemite Kingdom of Jordan/アラビア語: Al Mamlakah al Urduniyah al Hashimiyah)
以前の国名はトランスヨルダン
政体:立憲君主制
首都:アンマン
独立:1946年5月25日 (イギリス統治の国際連盟委託統治領から)
憲法: 1952年1月8日
法律制度:イスラム法とフランス法典に基礎を置く。
投票権:20歳以上の国民
元首:アブドッラー2世・イブン・アル・フセイン国王(His Majesty King Abdullah II Ibn Al Hussein)(1999年2月7日即位)
フセイン・ブン・タラール・ハシミ国王(King HUSSEIN Bin Talal Al Hashimi)は、1999年2月7日、死去した。在位1952年8月11日〜1999年2月7日。
行政府
政府の長:首相 サミール・リファーイ(Mr. Samir Rifai) (2009年12月9日就任)
内閣: 国王によって任命された内閣
立法府: 二院制の国会 (Majlis al-'Umma) 、上院55名、下院120名
上院(Majlis al-A'ayan):国王が指名した55名からなる
下院
国旗
上から黒、白、緑色に水平に3つに分かれ、巻き上げ側に7つの角のある白色の小さな星がついた赤色の二等辺三角形がある。7つの角の星はコーランの7つの原理の法を表している。

経済

概況
ヨルダンは、水や石油や石炭などの天然資源が不足している小さな国である。
1970年代後半から1980年代前半の石油ブームの間、アラブ諸国からの援助が増大した。その間の実質経済成長率は平均年10%を越えていた。
しかし、1980年代後半には、アラブ諸国からの援助は減り、労働者の送金も減り、経済成長率は年約2%に落ちた。石油や資本、耐久消費財、食品などの輸入額は、外国からの援助、国外の労働者からの送金そして借金によって償われていた差額で、輸出額を追い越した。
1989年中頃,ヨルダン政府は債務繰り延べ交渉を始め、財政不足を徐々に減らし、非常に求められている構造改革を進めるというIMFに支援による計画を進めることに同意した。しかし、1990年始まった湾岸危機により、ヨルダンの経済問題は悪化し、IMFプログラムを棚上げし、大部分の債務支払を停止し、債務繰り延べ交渉を延期せざるをえなくなった。湾岸諸国からの援助、国外での労働者からの送金、貿易は減少した。難民が国内に押し寄せ、深刻な支払収支問題が起こり、GDP成長を妨げ、政府の財源を乱費させた。経済は、主に湾岸諸国から帰国した労働者たちによって持ち込まれた金により1992年に反発したが、回復は1994〜1997年には一様でなかった。政府は、1992年に採択された改革プログラムを押し進め、深刻な外国債務の債務繰り延べと帳消しを獲得し続けた。
債務、貧困、失業はヨルダンの現在のもっとも大きな問題として残っている。
GDP(MER): 229億2,900万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(MER):3,828.609ドル (2009年:IMF)
GDP(PPP): 336億5,800万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(PPP):5,620.042ドル (2009年:IMF)
国内総生産実質成長率:2.754% (2009年:IMF)
インフレ率(消費者物価):2.679% (2009年:IMF)
失業率:12.9% (2009年推計)
国家予算(2009年推計)
歳入: 59億2,500万ドル
歳出:84億2,7万ドル
輸出:63億6,600万ドル(2009年推計)
商品: 衣料品、肥料、カリ、リン酸塩、野菜、医薬品
相手国:アメリカ 17.13%、イラク17%、インド13.59%、 サウジアラビア 10.56%、シリア4.18%、UAE 4.09% (2009年)
輸入:125億ドル (2009年推計)
商品: 原油、機械、輸送機械、鉄、穀物
相手国:サウジアラビア 17.3%、中国10.95%、アメリカ6.94%、ドイツ6.29%、エジプト6.1% (2009年)
対外債務:67億6,600万ドル (2009年推計)
工業生産:成長率3% 、GDPの30.4%を占める (2009年推計)
産業:衣料品、肥料、カリウム、リン酸、鉱業、医薬品、石油精製、セメント、無機化学、軽工業、観光
農業:GDPの3.4%を占める。柑橘類、トマト、キュウリ、オリーブ、イチゴ、石の果物、羊、家禽、酪農
通貨:ヨルダン・ディナール
1 Jordanian dinar (JD) = 1,000 fils
為替レート:1ドル=0.709ヨルダン・ディナール (JD) (2009年)
交通・運輸
鉄道:676 km
幹線道路
全距離: 6,640 km
舗装: 6,640 km
未舗装:砂利・砕石0 km
通信
電話:81,500回線
ラジオ局: AM 5、 FM 7、 短波 0
テレビ局: 8局および 衛星放送受信専門局1

歴史

シリア、レバノン、ヨルダン、アラビア半島は、オスマン・トルコの支配下にあった。
第一次世界大戦において、オスマン・トルコはドイツと同盟し、イギリス、フランスと戦った。 イギリスは、アラブ人にオスマン・トルコに対する反乱を工作した。
メッカのシェリフ、フサインは、イギリス人T.E.ロレンスと協力し反乱軍を組織した。T.E.ロレンスがアラビアのロレンスである。ロレンスとフサインの息子ファイサルに率いられたアラブ反乱軍はオスマン帝国や、駐留ドイツ軍を打ち破り、1918年、ダマスカスを占領した。そしてアラブ臨時政府を樹立した。
しかし第一次世界大戦中に、イギリスとフランスの間には、シリア地方分割の密約がかわされていた。戦争が終わると、フランス軍はダマスカスを攻撃し、アラブ臨時政府は瓦解し、フランスは現在のシリアとレバノン地域を委任統治領として、実質的な植民地とした。イギリスは、現在のヨルダン、イスラエル、パレスチナを委任統治領として支配下においた。
イギリスは、委任統治のもとで、フサインの息子、アブドラーを国王として、トランス・ヨルダンを作り、ファイサルを国王としてイラク王国を作った。
ヨルダンは、1946年独立した。
しかし1948年5月、イスラエルが建国された。ヨルダンはエジプトなどとともにイスラエルに攻め込んだが、結局アラブ側の敗北に終わった。この戦争で、多くのパレスチナ人がヨルダン国内へ逃げ込んだ。
この時点でのヨルダンの領土は、現在のヨルダン川西岸、東エルサレムを含んでいた。
1953年、ファイサルが国王になった。
1960年代、ヨルダンにとって状況はかなりよかった。アメリカから経済援助があり、エルサレムの旧市街を中心とした観光ブームも訪れた。
しかし1967年、第三次中東戦争で状況は一変した。この時、ヨルダンはイスラエルにヨルダン川西岸、東エルサレムを占領された。これによりヨルダンは、観光と農業という二つの大きな収入の道を絶たれた。
またヨルダン川西岸、東エルサレムから多数のパレスチナ難民が流入してきた。ヨルダンはパレスチナゲリラの拠点となり、PLOはヨルダン国内で大きな勢力となった。PLOはイスラエルに対するゲリラ闘争、テロ、ハイジャックなどを行い、ヨルダンはその本拠地として、世界の非難を浴びるようになった。
そのためヨルダンは、1970年、国内からパレスチナ・ゲリラを国外へ追放した。これがブラック・セプテンバーといわれる事件である。
湾岸戦争で、ヨルダンはイラクを支持した。それは国内の多数のパレスチナ人がサダム・フセインを強く支持している圧力によってだった。湾岸戦争後、ヨルダンはイラクへの経済制裁に協力するなどの国際協調により、孤立化を免れた。
1995年、ヨルダンはイスラエルと国交を回復した。

人々

人口:640万7,085人 (2010年推計)
人口構成(2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性
0-14 歳 36% 1,096,441人 1,161,484人
15-64 歳 59.4% 1,829,112人 1,892,472人
65 歳以上 4.6% 146,718人 143,058人
人口増加率:2.159% (2010年推計)
出生率:1,000人当たり27.06人 (2010年推計)
死亡率:1,000人当たり2.66人 (2010年推計)
乳児の死亡率:出生1,000 人当たり17.03人(2010年推計)
平均寿命:(2010年推計)
全人口 男性 女性
79.92歳 78.64歳 81.28歳
民族構成:アラブ人 98%、 アルメニア人1% 他
宗教:イスラム教スンニー派 92%、 キリスト教 4%
言語:アラビア語 (公用語)、 中流上流階級では、英語が広く理解される。
識字率(15才以上) (2003年推計)
全人口 男性 女性
89.9% 95.1% 84.7%
労働力: 166.7 万人(2009年推計)
職業(2007年推計)
農業 製造業 サービス業
2.7% 20% 77.4%

地図

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