国名 | シンガポ−ル共和国 |
面積 | 632.6平方km(東京23区とほぼ同じ ) |
人口 | 470万1,069人 (2010年推計) |
言語 | 中国語(公用語)、マレー語(公用語および国語)、タミール語 (公用語)、英語(公用語) |
宗教 | 仏教 (中国系)、イスラム教(マレー系)、キリスト教、ヒンズー教、シーク教,道教、儒教 |
通貨 | シンガポ−ル・ドル |
為替レート | 1ドル=約1.72シンガポ−ル・ドル 1シンガポ−ル・ドル=約62.2円 |
日本との時差 | -1時間 |
ビザ |
※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。 必ず、シンガポール大使館、領事館などで確認してください。 参考:シンガポール政府観光局 |
国旗 | |
国際電話 | |
- 位置:東南アジア。マレーシアとインドネシアの間にある。
- 面積
- 全面積: 632.6平方km
- 陸地の面積:622.6平方km
- 国境線:0 km
- 海岸線:193 km
- 国際紛争: マレーシアと2つの島を巡って争っている。
- 気候:熱帯性気候。暑く湿気があり、雨が多い。年間を通して気温は25℃以上。はっきりした雨期と乾期はない。
- 地形:低地。中央部は集水地域と自然保護区のある起伏した高原になっている。
- 天然資源:魚
- 海岸線:193 km
- 正式名称:シンガポール共和国(英語:Republic of Singapore)
- 政体: 立憲共和制(英連邦加盟)
- 首都:シンガポール
- 行政区域:なし
- 独立: 1965年8月9日 (マレーシアから)
- 憲法: 1959年6月3日、 1965年に改正された (独立前のシンガポール憲法を基礎にしている)
- 法律制度:イギリスの慣習法に基づく。
- 選挙権:20歳以上の国民すべての義務である。
- 行政府:
- 政体: 立憲共和制(英連邦加盟)
- 元首:大統領S R ナザン (1999年9月就任)
選挙は2005年8月18日 無投票で再選された。
- 政府の長:首相リー・シェンロン (Lee Hsien Loong/リー・クアンユーの息子) (1990年11月28日より)
- 政府の長:首相リー・シェンロン (Lee Hsien Loong/リー・クアンユーの息子) (1990年11月28日より)
- 立法府: 一院制。議席数84(任期5年)
- 国会:最新の選挙は2006年5月6日に行われた。
結果:)
議席 (総議席84)政党名 議席数 人民行動党 82 民主同盟 1 労働党 1 - 政党:
- 与党:人民行動党(People's Action Party /PAP):事務総長 リー・シェンロン首相
- 野党: 労働者党(Workers' Party/WP):ラウ・アキアン書記長
- 野党: シンガポール民主連合(Workers' Party/WP):チャム・シートン新人民党書記長
- 野党: 労働者党(Workers' Party/WP):ラウ・アキアン書記長
■軍事
- 軍事費:40.3億ドル、GDPの4.3% (96/97年)
- 概況:
- シンガポールには、強力なサービスおよび製造産業があり、古くからの貨物集積地であったために主要な国際貿易の中継基地となっている。
1997年のアジア金融危機の際には、シンガポールのファンダメンタルズは非常に強力であったため、その影響をなんとか切り抜けることができた。しかし1997年のGDP成長率は約6%に落ち込んだ。1998年のGDP成長率は4.5%〜6.5%と予測されている。
賃金の上昇と近隣諸国通貨に対してのシンガポール・ドルの上昇は、シンガポールの競争力を脅かしている。これに対し、シンガポール政府は、生産性を高め、インフラの整備を進め、高付加価値製品の生産を進めようとしている。応用技術、一人当たりの生産高、投資、労働者の訓練が、シンガポールが先進国として維持されるための鍵である。 - GDP(MER): 1,771億3,200万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):37,293.417ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 2,399億6,600万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):50,522.718ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:-2.020% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):-0.339% (2009年:IMF)
- 失業率:3.000% (2009年:IMF)
- 国家予算 (97/98 年)
- インフレ率(消費者物価):-0.339% (2009年:IMF)
- 歳入:163億ドル
- 歳出:136億ドル
- 輸出:1256億ドル (1997年推計)
- 商品: コンピューター機器、ゴムおよびゴム製品、石油製品、通信機器
- 相手国: マレーシア19%、アメリカ18%、香港9%、日本8%、タイ6% (1995年推計)
- 輸入:1339億ドル (1997年推計)
- 商品:航空機、石油、化学薬品、食料
- 相手国: 日本21%、 マレーシア15%、アメリカ15%、タイ5%、台湾4%、韓国4% (1995年推計)
- 対外債務: 2,000万ドル(1993年)
- 工業生産: 成長率7% (1996年推計)
- 発電量: 210億kWh
- 工業生産: 成長率7% (1996年推計)
- 一人当たり消費量: 7,234 kWh (1995年)
- 産業:石油精製、エレクトロニクス、ゴム生産と加工、食品加工と飲料、船舶修理、貨物集積地交易、金融サービス、バイオテクノロジー
- 農業:経済的には小さな存在。 家禽と卵は持久している。他の食料の多くは輸入しなければならない。
主要作物:ゴム、コプラ、果物、野菜、- 通貨: シンガポール・ドル
- 農業:経済的には小さな存在。 家禽と卵は持久している。他の食料の多くは輸入しなければならない。
- 1 Singapore dollar (S$) = 100 cents
- 為替レート:
- 1ドル=シンガポール・ドル:1.7533 (1998年)、 1.4848 (1997年)、 1.4100(1996年)、1.4174 (1995年)、1.5275 (1994年)、 1.6158 (1993年)、 1.6290 (1992年)、 1.7276 (1991年)、 1.8125 (1990年)
交通・運輸
- 鉄道
- 全長: 38.6 km
- 幹線道路
- 全長:3,010 km
- 舗装:2,932 km
- 未舗装: 78 km (1995年推計)
- 舗装:2,932 km
通信
- 電話: 140万台
- ラジオ局 : AM 13、 FM 4、短波0
- テレビ局 : 4
- ラジオ局 : AM 13、 FM 4、短波0
- ■〜19世紀
- マレーの伝説によると、スマトラの王子がトゥマセ島で一匹のライオンと出会った。それは良い前兆と考えられた。彼はこの島をシンガプラ、「Lion City」と名付けた。
ライオンはシンガポールに住んでいたことは決してない(王子が虎を見たということの方がありそうだが)。
スマトラのシヴィリジャヤ王国の小さな貿易港として、後には13世紀中頃、ジャワのマジャパイト王国の家臣国として地域に設立された。
1511年、ポルトガルがマラッカを攻撃し、14世紀末から繁栄していたマラッカ王国を滅亡させた。ポルトガルは、マラッカを支配し、マラッカ海峡を通る貿易船から税金を取り立てた。
マラッカ王国の王族たちは、ジョホール州などに逃れ、後継王朝を築いた。シンガプラ島は、ジョホール王朝の支配下にあった。
1602年、オランダは東インド会社を作り、東洋貿易に乗り出した。
1641年、オランダはマラッカを攻撃し、ポルトガルから奪い取った。
この地域の東洋貿易は、オランダが主導権を握るようになった。
18世紀後半から、イギリスでは中国のお茶の需要が激増していた。 - ■19世紀
- 1819年、スタンフォード・ラッフルズがシンガポールに上陸したとき、この島は小さな漁村だった。
18世紀、東インド会社が中国からインドの植民地への貿易ルートを確保し防衛するために、マレー半島付近に貿易船の寄港地を必要とした。 ラッフルズはこの地を治めていたジョホール王朝と交渉し、シンガプラ島にイギリスの商館を建設することを承認させた。 イギリスは初めてマラッカ海峡に勢力を確立した。
オランダは200年近くもこの地域でのヨーロッパの東洋貿易を支配していた。
オランダの領土拡張主義復活を恐れ、ラッフルズはイギリスのプレゼンスの増大を主張し、それはすぐに与えられた。
オランダは、マラッカのすぐ南部へのイギリスの進出に反対し、イギリスと外交交渉を行った。その結果、東南アジアにおける両国の植民地の勢力範囲が確定された。
1824年、英蘭協定が結ばれ、マレー半島のマラッカとスマトラのイギリス領が交換された。
マレー半島、シンガプラ島はイギリスの勢力下に入った。
非関税港の魅力に引かれた移民はが何千人と流入し、軍事、海軍基地とともに植民地が作られた。
シンガポールは貿易自由港として発展した。
イギリスは1832年、ペナン、マラッカを加え直轄植民地の首都にシンガポールを定めた。
1867年には、イギリス植民地省の直轄植民地となり、マレー半島の植民地の中心となった。 - ■20世紀
- シンガポールの発展は、20世紀に入っても続いた。しかし、第二次世界大戦の勃発で、残忍にイギリスの力の誤った考えが暴露された。
1942年2月15日、マレー半島を南下した日本軍はシンガポールを陥落させた。日本軍は、中国系住民を抗日分子として虐殺した。その数は5万人とも言われる。
1945年、日本の降伏の後、イギリス軍はシンガポールへ復帰した。
しかし彼らの統治の権利はもはや保証されなかった。
1946年、シンガポールはマラヤ連合から分離され、イギリスの直轄植民地となった。
1950年代までに、シンガポールはゆっくりと自治に向かって進んでいた。自治権獲得運動が活発になった。芽を出していた民族主義によって多くの政党が形成されていた。
1959年、イギリスは外交、防衛を除き、内政の自治権をシンガポールに与えることを決定し、選挙が行われた。
ケンブリッジで学んだリー・クアン・ユーをリーダーとする人民行動党は総議席51の内、43議席を獲得し勝利した。
リーは首相となり、31年間その地位を保ち続けた。
1961年、マラヤ連邦のラーマン首相は、63年のマレーシア完全独立について、シンガポール、ブルネイ、イギリス領サバ、サラワクとの連邦国家構想を発表した。シンガポールは国民投票の結果、この連邦への参加を決定した。
1963年、シンガポールはマラヤと合同しマレーシア連邦となった。
しかし、マレーシア政府のマレー人優遇政策と中国系住民が多数を占めるシンガポールの政治的亀裂が深まった。
1965年8月9日、シンガポールは、マレーシア連邦から分離、独立した。
シンガポールは伝統的な中継貿易依存型経済から脱却し、工業化を推進した。1968年、外資を積極的に導入し、さらに高度成長を続けた。
1990年、リー・クアン・ユーは首相を退陣し、ゴー・チョクトンに譲った。
- 人口: 470万1,069人 (2010年推計)
- 人口構成(1998年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 21% 361,244人 383,960人 15-64 歳 72% 1,255,795人 1,252,427人 65 歳以上 7% 131,513人 105,417人 - 人口増加率:1.2% (1998年推計)
- 出生率: 人口1,000人当たり13.79人 (1998年推計)
- 死亡率:人口1,000人当たり 4.68人 (1998年推計)
- 乳幼児死亡率(1歳以下): 出生1,000人当たり3.87人 (1998年推計)
- 平均寿命
全人口 78.49歳 男性 75.46歳 女性 81.77 歳 - 民族構成:中国系76.4%、マレー系14.9%、インド系6.4%、その他2.3%
- 宗教: 仏教 (中国系)、イスラム教(マレー系)、キリスト教、ヒンズー教、シーク教,道教、儒教
- 言語:中国語(公用語)、マレー語(公用語および国語)、タミール語 (公用語)、英語(公用語)
- 識字率(15歳以上): (1995年推計)
全人口 91.1% 男性 95.9% 女性 86.3% - 労働力:185.6万人 (1997年推計)
- 職業:
金融、商業、他のサービス業 製造業 貿易 建設業 その他 33.5% 25.6% 22.9% 6.6% 11.4% - 人口構成(1998年推計)