
国名 |
キルギス共和国 |
面積 |
19万8,500平方km(本州の約0.87倍) |
人口 |
550万8,626 (2010年推計) |
首都 |
ビシュケク |
言語 |
キルギス語 (公用語)、ロシア語 |
宗教 |
イスラム教75%、ロシア正教20% |
通貨 |
ソム(som) |
為替レート |
1ドル=46.30ソム(2010年6月末) |
日本との時差 |
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ビザ |
入国にはビザが必要。 |
国旗 |
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国際電話 |
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- 面積
- 全面積:19万8,500平方km
- 陸地の面積: 19万1,300平方 km
- 国境線:全長3,878 km、中国858 km、カザフスタン1,051 km、タジキスタン 870 km、ウズベキスタン 1,099 km
- 国際紛争:タジキスタンと南西部のイスファラ流域の国境をめぐっての争い。
- 気候:乾燥した大陸性気候。天山山脈の高地で極寒。 南西部は亜熱帯(フェルガナ渓谷)、北部の丘陵地域は温帯。
- 地形:天山山脈の頂上は7,000mに達する。渓谷と盆地がつながり国土全てを囲んでいる。
- 天然資源: 金や稀土類金属の大きな埋蔵。石炭、石油、天然ガス、水銀、ビスマス、鉛、亜鉛

- 正式名称:キルギス共和国(英語: Kyrgyz Republic/Kyrgyz Respublikasy)
- 注:以前は、キルギス・ソビエト社会主義共和国
- 政体:共和制
- 首都:ビシュケク
- 独立:1991年8月31日(ソ連から)
- 憲法: 1993年5月5日
- 選挙権:18歳以上の国民すべて
- 元首:ローザ・イサコヴナ・オトゥンバエヴァ大統領(2010年7月就任、任期2011年末まで)
- 行政府:
- 政府の長:首相 アルマズベク・アタンバエフ (2010年12月17日就任)
- 内閣:大統領に従属している。
- 立法府:一院制(定数120・全て比例代表制)
2003年の憲法改正により二院制から一院制に移行。2007年10月の新憲法採択により定数を75から90に、2010年7月の新憲法案では120に拡大。
- 国会:前回の選挙は2010年10月10日行われた。
- 政党:
- アタ・ジュルト(Ata-Jurt)
- キルギス社会民主党(SDPK)
- アル・ナムス(Ar-Namys)
- 共和国(Respublika)
- アタ・メケン(Ata-Meken(Respublika)
- 概況:
- 1991年の独立以来、アカーエフ前大統領の下、いち早く民主化及び市場経済化を軸とした改革路線を打ち出す。1998年にはWTOの加盟(旧ソ連諸国で初)も果たした。
しかし、資源に乏しい同国の経済は伸び悩み、WTO加盟の結果、国内産業は厳しい国際競争にさらされ、国民は経済改革の成果を享受できない中で、野党勢力の反政府運動が高まった。
2005年2月末の議会選挙での不正をきっかけとして、野党勢力により南部で開始された反政府運動が首都に及ぶと3月、アカーエフ政権は崩壊。野党勢力指導者のバキーエフ元首相が大統領代行兼首相に選出され、7月の大統領選挙で当選し、8月に就任した。
バキーエフ政権の下、政治・経済改革は遅々として進まず、政情不安定が続いた。2006年11月、憲法改正を巡ってバキーエフ大統領側と議会内野党勢力との対立が激化。2006年12月にクロフ内閣が総辞職し、短命なイサベコフ内閣を経て、一部野党勢力の取り込みを狙うバキーエフ大統領が2007年3月にアタムバエフ社会・民主党党首を首相に任命。4月、クロフ元首相を中心とする野党勢力の反バキーエフ行動が失敗に終わった後、とりあえず大統領側が事態を掌握した。
2007年9月、キルギス憲法裁判所が2006年11月、12月に採択された2つの憲法を無効と宣言。2007年10月に実施された国民投票で党別比例代表制の導入や議会定数の拡大等を盛り込んだ新たな憲法案及び選挙法典案が成立した後、バキーエフ大統領は期限前に議会を解散した。12月16日に議会選挙が行われ、親大統領政党の「アク・ジョル」党が最大議席を獲得した。
2009年7月23日、大統領選挙を実施し、バキーエフ大統領が再選された(8月2日、就任式)。
2009年10月20日、国家運営システムの改革のため、政府は総辞職。大統領機構及び政府機構が再編され、外務省は大統領直属機関との位置付けとなった。
2010年4月、国民の不満が高まり、大規模なデモが発生。治安当局との衝突(犠牲者数86名)の末、バキーエフ大統領は出国し、辞任。オトゥンバエヴァ元外相を議長とする「暫定政府」が発足。
2010年6月10日、南部オシュにおいて、キルギス系及びウズベク系の住民の間で民族衝突が発生した(死者300名以上、難民・国内避難民約40万人)。
6月27日、キルギス新憲法案(オトゥンバエヴァ移行期大統領の信任を含む)の是非を問う国民投票が実施された(投票率70%以上、賛成票90%以上)。7月3日の就任式を以って、オトゥンバエヴァ大統領(任期:2011年末)が誕生。

- 概況:
- キルギス共和国は、小さく、貧しく、山岳にある国である。
経済は、多くを農業によっている。南部では潅漑地で綿花やタバコを栽培し、北部の丘陵では穀物を、山岳の牧草地で羊やヤギを飼育している。綿花、羊毛、肉が主要な産物であり、輸出品である。
工業輸出品は金、水銀、ウランなどである。
1990年以来モスクワからの補助金がなくなり、他の旧ソビエト諸国との貿易システムが破綻し、経済はほぼ50%縮小した。
これに対しキルギス政府は、1994年に金融および財政の緊縮政策を行い、インフレは1993年の一カ月当たり23%から1994年には一カ月当たり5.4%に下がった。
1994年の生産の減少は概算24%に上った。
比較的多くの外国の援助を得て経済改革を進めたにもかかわらず、1994年の構造改革は遅く困難な進捗状況だった。
しかし、キルギス共和国は、旧ソ連諸国のなかでは市場改革を最も進めた国の一つとなった。経済安定プログラムを進めた結果、1994年には88%あったインフレ率は1997年には15%まで下がり、経済成長は上向きとなった。
政府が保有していた企業の株式の大半は売却された。
生産の低下は1991年のソ連崩壊以来、厳しいものであったが、1995年中頃には生産は復活し、輸出は増加し始めた。
しかし、年金生活者、失業者、公務員の賃金は未払いが続いている。1996〜97年には、外国からの支援は、キルギス経済の回復に大きな役割を果たしている。
- GDP(MER): 45億7,000万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):850.993ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 121億100万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):2,253.493ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:2.300% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):-0.025% (2009年:IMF)
- 失業率:8%(公式に登録された失業者のみ)
また多数の非登録失業者と不完全就業者がいる(1996年推計)
- 国家予算(1996年推計)
- 歳入:2億2500万ドル
- 歳出:3億800万ドル
- 輸出:5億600万ドル (1996年推計)
- 商品:羊毛、綿、肉、金、タバコ
- 相手国:中国、イギリス
- 輸入: 8億9000万ドル(1996年推計)
- 商品: 穀物、材木、工業製品、燃料、機械、織物、履き物
- 相手国:トルコ、キューバ、アメリカ、ドイツ
- 対外債務:7億4600万ドル(1996年推計)
- 工業生産: 成長率108%(1996年推計)
- 発電量: 137億kWh
- 一人当たり消費量:2,090 kWh (1995年推計)
- 産業:機械 、織物、食品加工、セメント、靴、 冷蔵庫、家具、電気モーター、金、稀土類
- 農業:羊毛、タバコ、綿、家畜 (羊、ヤギ、畜牛) 野菜、肉、ブドウ、果物、 卵、ミルク、じゃがいも
- 経済援助:
- 受取: IMFからの援助の約束は1993年に8000万ドル、1994年に4億ドルだった。
- 通貨:ソム(som) が導入された (1993年5月10日)
- 為替レート:
- 1ドル=46.30ソム(2010年6月末)
- 鉄道
- 全長:370 km
- 幹線道路
- 全長: 18,500 km
- 舗装および砂利:16,845km
- 未舗装:土 1,646km (1996年推計)
- 空港:54
- 電話:34万2,000回線、1,000人あたり76回線 。
家庭の電話の約10万回線が満足に使用できない。(1991年12月)
- ラジオ台数 :82万5,000台
- テレビ : 87万5,000台

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17-18世紀頃までにキルギス人の民族形成が進行 |
18世紀後半-19世紀前半 |
コーカンド・ハン国による支配 |
1855年-1876年 |
ロシア帝国に併合 |
1918年 |
ロシア革命後、ロシア連邦共和国内の「トルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国」の一部となる |
1924年 |
中央アジアの民族・共和国境界確定により、ロシア連邦共和国内のカラ・キルギズ自治州となる |
1926年2月 |
キルギズ自治ソヴィエト社会主義共和国成立 |
1936年 |
ロシア連邦共和国から分離し、ソ連邦を構成するキルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格 |
1990年6月 |
オシュ事件(キルギス人とウズベク人の民族間衝突) |
1990年10月 |
アカーエフ大統領就任 |
1990年12年12日 |
「キルギスタン共和国」に改名、主権宣言 |
1991年8月31日 |
共和国独立宣言 |
1993年5月 |
国名を「キルギス共和国」に変更 |
2005年4月 |
政変によりアカーエフ大統領辞任 |
2005年7月 |
バキーエフ大統領当選 |
2009年7月 |
バキーエフ大統領再選 |
2010年4月 |
政変によりバキーエフ大統領辞任 |
2010年6月 |
南部にてキルギス系とウズベク系住民の大規模衝突 |
2010年7月3日 |
オトゥンバエヴァ大統領就任 |

- 人口:550万8,626人 (2010年推計)
- 人口構成(2010年推計)
年齢 |
構成比 |
女性 |
男性 |
0-14 歳 |
29.7% |
789,425人 |
822,128人 |
15-64 歳 |
64.5% |
1,787,551人 |
1,717,497人 |
65 歳以上 |
5.8% |
192,101人 |
123,045人 |
- 人口増加率:1.414% (2010年推計)
- 出生率:人口1,000人当たり23.58人(2010年推計)
- 死亡率:人口1,000人当たり6.85人 (2010年推計)
- 乳幼児死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり30.25人(2010年推計)
- 平均寿命 (2010年推計)
全人口 |
男性 |
女性 |
69.74歳 |
65.74歳 |
73.9歳 |
- 民族構成:キルギス人52.4%、ロシア人18%、ウズベク人 12.9%、ウクライナ人2.5%、ドイツ人2.4%、その他 11.8%
- 宗教:イスラム教75%、ロシア正教20%、その他5%
- 言語:キルギス語 (公用語)、ロシア語は広く使われている。
- 識字率(15歳以上): (1999年census)
全人口 |
男性 |
女性 |
98.7% |
99.3% |
98.1% |
- 労働力: 234.4万人
(2007年)
- 職業: (2009年推計)
農業 |
製造業 |
サービス業 |
24.8% |
23.1% |
52% |