東ティモール

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基本情報

国名 東ティモール民主共和国
面積 約1万4,000平方km
人口 約94.7万人(2005年)
首都 ディリ
言語 公用語はテトゥン語及びポルトガル語。実用語はインドネシア語及び英語。
宗教 キリスト教99.1%(大半がカトリック)、イスラム教0.79%
通貨 米ドル
為替レート
日本との時差
ビザ
ビザ
入国する場合、ビザが必要です。
空路で入国する場合は空港、陸路の場合は国境で取得。手数料は30米ドル

※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。
必ず、旅行会社などで確認してください。
国旗  
国際電話  

 
   
   
   

地勢・気候

位置:小スンダ列島にあるティモール島の東半分とアタウロ島、ジャコ島、飛地オエクシで構成されている。南方には、ティモール海を挟んでオーストラリアがあり、それ以外はインドネシア領である。
面積
全面積:14,874平方km
陸地の面積: 14,874平方km
気候
地形
天然資源

政治

正式名称:東ティモール民主共和国
(英語:The Democratic Republic of Timor-Leste)
政体:共和制
首都:ディリ
独立
独立宣言1975年11月28日
主権回復2002年5月20日
憲法
選挙権: 17歳以上の国民すべて
元首:ラモス・ホルタ大統領(任期5年:2007年5月20日〜)
行政府
政府の長:首相  シャナナ・グスマン首相兼国防・治安大臣(2007年8月〜)
内閣
立法府

一院制(任期5年)(議席数65)

東ティモール独立革命戦線(フレテリン):21議席
東ティモール再建国民会議(CNRT):18議席
ティモール社会民主協会(ASDT)と社会民主党(PSD)の連立:11議席
民主党(PD):8議席
国民連帯党(PUN):3議席
ティモール闘士連合(KOTA)とティモール大衆党(PPT)の連立:2議席
ティモール民族抵抗民主国民連帯党(UNDERTIM):2議席
なお、CNRT、ASDT、PSD、PD及びUNDERTIMの5党が連立与党(AMP)を形成。

政党

経済

概況
GDP(MER): 5億9,000万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(MER):542.699ドル (2009年:IMF)
GDP(PPP): 27億4,100万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(PPP):2,521.725ドル (2009年:IMF)
国内総生産実質成長率:7.400% (2009年:IMF)
インフレ率(消費者物価):2.700% (2009年:IMF)
失業率: 20% (2006年推計)
国家予算(2008年推計)
歳入:7億3,300万ドル
歳出:3億900万ドル
輸出:1,000万ドル (2009年推計)
商品:コーヒー、サンダルウッド、大理石
相手国
輸入:2億200万ドル(2009年推計)
商品:食品、ガソリン、灯油、機械
相手国
対外債務
工業生産: 成長率は8.5% (2009年推計)
工業: GDPの12.8%を占める。印刷、石鹸製造、手工芸品、不織布
農業:GDPの32.2%と労働力の90%を占める。
コーヒー、米、トウモロコシ、キャッサバ、サツマイモ、大豆、キャベツ、マンゴー、バナナ、バニラ
経済援助
通貨:米ドル。但し、1米ドル未満についてはセント貨に加え、独自の「センタボ(centavo)」貨も使用(米セントと同貨)
為替レート

歴史

   
16世紀以前 リウライ(王)が割拠し、王国が乱立。
16世紀前半 ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服。
17世紀半ば オランダ、西ティモールを占領。
1701年 ポルトガル、ティモール全島を領有。
1859年 リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。
1942年 日本軍、ティモール全島を占領。
1945年 第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が復活(西ティモールはインドネシアの一部として独立)。
1974年 ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる。
1975年 独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。
1976年 インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言。
1991年 11月、サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件)
1992年 11月、インドネシアがシャナナ・グスマン司令官を逮捕(1999年に釈放)。
1998年 5月、スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領 に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換。
1999年 6月11日、国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定する決議1246を採択。
8月30日、独立についての直接投票実施。
9月4日の結果発表直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し現地情勢は急激に悪化。
9月15日、国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を認める決議1264を採択。
10月20日、インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定。
10月25日、国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定する決議1272を採択。
2000年 7月、東ティモール暫定政府(ETTA)発足
10月、国民評議会(National Council)発足
2001年 8月30日 憲法制定議会選挙実施
9月20日 東ティモール行政府(ETPA)発足
2002年 3月22日 憲法公布
4月14日 大統領選挙実施、シャナナ・グスマン氏が当選
5月17日 国連安保理による国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定する決議1410を採択
5月20日 東ティモール民主共和国独立
9月27日 国連加盟
2004年 12月、各県にてスコ(村)・アルディア(小村)選挙開始
2005年 4月28日 国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定する決議1599を採択。
2006年 4月28日 離脱兵による抗議活動に関連し暴力行為が発生し政府は軍を投入。
5月初旬〜 憲兵隊員が国軍から離脱、国軍本部等を襲撃。
5月25日 豪、ポルトガル、NZ、マレーシアは、東ティモール政府の要請を受け国際治安部隊を派遣。
6月26日 アルカティリ首相辞任。
7月10日 ラモス・ホルタ外相が首相就任。
8月25日 UNOTIL任務終了。国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定する決議1704を採択。
2007年 2月26日 UNMITのマンデート延長を決定する決議1745を採択。
4月9日 大統領選挙実施。
5月9日 大統領選挙決選投票実施。
5月20日 ラモス・ホルタ前首相が大統領就任。
6月30日 国民議会選挙実施。
8月8日 シャナナ・グスマン前大統領が首相就任。
2008年 2月11日 ラモス・ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス・ホルタ大統領重傷を負う。
2月12日 非常事態宣言発出
2月25日 UNMITのマンデート延長を決定する決議1802を採択。
4月17日 ラモス・ホルタ大統領職務復帰
5月8日 非常事態宣言解除
2009年 2月26日 UNMITのマンデート延長を決定する決議1867を採択。
5月 UNMITから東ティモール国家警察への権限委譲開始

人々

人口:113万1,612人 (2010年推計)
人口増加率:2.027%% (2010年推計)
出生率:人口1,000人当たり26.25人(2010年推計)
死亡率:人口1,000人当たり5.98人 (2010年推計)
乳幼児死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり40.65人(2010年推計)
平均寿命 (2010年推計)
全人口 男性 女性
67.27歳 64.92歳 69.75歳
民族構成:テトゥン族等大半がメラネシア系。その他マレー系、中華系等、ポルトガル系を主体とする欧州人及びその混血等
宗教:ローマン・カトリック98%、プロテスタント1% 、イスラム教1%
言語:テトゥン語(公用語)、ポルトガル語(公用語)、実用語としてインドネシア語及び英語。その他多数の部族語が使用されている。
識字率(15歳以上): (2002年)
全人口 男性 女性
58.6% 不明 不明
労働力:414,200人 (2007年)
職業: (2006年推計)
農業 工業 サービス業
90% 不明 不明

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